「大和政権と朝鮮半島」 わかりやすく簡単に解説

歴史
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 奈良盆地にできた大和政権

 大きく勢力を広げ

 九州地方から東北地方まで影響下に置いた

 日本国内だけでなく

 朝鮮半島と交流があった

 大和政権と朝鮮半島との交流

 わかりやすく、簡単に解説していきます。

キーワード

・大和政権

・高句麗

・百済

・新羅

・任那

・渡来人

大和政権と朝鮮半島

① 朝鮮半島の国々

 5世紀の朝鮮半島

 4つの国に分かれていました。

 高句麗(こうくり)

 新羅(しらぎ)

 百済(くだら)

 任那(みまな)

 位置関係まで頭に入れておきましょう。

② 大和政権と朝鮮半島の国々との関係

 大和政権は、朝鮮半島の国々と交流がありました。

大和政権と任那

 まずは、「大和政権と任那」です。

 大和政権は任那を支配していました。

 良好な関係であり、それ以上に日本が影響力をおよぼす地域です。

 イメージは大和政権の子分

大和政権と百済

 続いて百済です。

 大和政権と百済は「良好な関係」でした。

 交流が深いです。

 イメージは現在の同盟のような形

大和政権と高句麗・百済

 高句麗・百済の関係です。

 簡単に言えば、仲が悪かった

 敵対関係です。

 大和政権は高句麗と戦ったことがあります。

③ 大和政権の朝鮮半島での戦い

 大和政権は任那を支配下に置き

 百済とは交流が深く仲良しです。

 百済から「高句麗や新羅が攻めてくる」という相談を受けます。

 大和政権は百済を助けるために援軍を送ります。

 高句麗の好太王碑には「倭(日本)と戦い、高句麗が勝った」ことが書かれています。

 百済を助けるために援軍を送るのは、朝鮮半島での影響力を保持したい思惑がありました。

 朝鮮半島では、良質な鉄がとれていました。

 鉄を日本に輸入をして、日本での支配を有利に進めたい考えていました。

 負けた日本は朝鮮半島での勢力が減退していきます。

④ 渡来人の来日

 朝鮮半島では、倭(日本)の大和政権を含む戦いがおこっています。

 百済や任那の地域から倭(日本)に一族で移り住む人々が増えました。

 「渡来人」です。

渡来人

 朝鮮半島から日本列島に移り住んだ人々

 渡来人の人々は様々なものを日本に持ち込みます。

渡来人がもちこんだもの
 ・須恵器といわれる高温で焼いたかたい土器
 ・漢字
 ・儒教
 ・仏教

 渡来人がもちこんだものを大和政権は採用していきます。

 渡来人によっての日本の技術的な進歩は大きかったです。

まとめ

  • 大和政権は日本国内だけでなく朝鮮半島の国々と交流があった
  • 大和政権は朝鮮半島の任那を支配地域としていた
  • 大和政権と百済は良好な関係にあった
  • 大和政権と新羅、高句麗は敵対関係にあり、百済を助けるために新羅、高句麗と戦った
  • 高句麗の好太王碑には倭(日本)と戦ったことが記されている
  • 朝鮮半島から一族で移り住む人々を渡来人とよび、須恵器、漢字、仏教などを日本にもちこんだ

用語確認 一問一答

① 朝鮮半島で大和政権の支配地域だった国

② 朝鮮半島で大和政権と良好な関係だった国

③ 朝鮮半島で大和政権と敵対していた国を2つ

④ 高句麗の何という石碑に倭(日本)と戦ったと記されているか

⑤ 朝鮮半島の人々が一族で日本に移り住んだ人々

用語確認 一問一答 ~答え~

① 任那
② 百済
③ 新羅・高句麗
④ 好太王碑
⑤ 渡来人

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