「大宝律令」とは わかりやすく簡単に解説

歴史
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 701年

 大宝律令が制定した

 大宝律令が制定されたことで

 律令国家となった

 大宝律令とは

 律令国家とは

 わかりやすく、簡単に解説していきます。

キーワード

・大宝律令・律令国家・貴族・国司・郡司

大宝律令~律令国家~

① 大宝律令

 701年

 唐の律令にならって「大宝律令」が制定されました。

 「大宝」は元号です。

 「律令」について

 「」とは刑罰の決まり

 「」とは政治をする上での決まり

 現在の法律のようなものです。

 律令に基づいて政治を行う国を「律令国家」といいます。

大宝律令

 701年 唐の律令にならってつくられた刑罰や政治の決まり

律令国家

 律令に基づいて政治を行う国

② 国の仕組み

 律令国家では天皇の命令が伝わる仕組みになっていました。

 「天皇中心の政治」を行うためです。

 天皇の命令は「太政官」に伝えられます。政治の中心となる中央の役所です。

 太政官から八省に伝えられます。

 八省とは「宮内省」「大蔵省」「刑部省」「兵部省」「民部省」「治部省」「式部省」「中務省」です。

 現在の政治の仕組みと似ています。

 トップの命令を各省が実行します。

 中央の役所で働く人々は「貴族」とよばれます。

 貴族だけでは足りずに、身分の低い人たちとも仕事をしていました。

② 地方の仕組み

 天皇の命令が地方にまで行き届く仕組みになっていました。

 まず、地方は多くの「」に分けられます。

 「国」という名前ですが、現在の「都道府県」だと思ってください。

 国には「国府」という役所があります。

 国府には都から「国司」が派遣されます。

 国司が国の政治を行います。

 都から派遣されているので、天皇の命令通りに動きます。

 国の下に「」とよばれる地方組織があります。現在の市町村と思ってください。

 郡の政治を行うのに、地方の豪族が「郡司」に任命されます。

 国司の命令を受けて郡司が地方の政治を行います。

 郡の下に「」があります。現在の町内会の大きい物だと思ってください。

 里の政治を行うのが「里長」です。

 国司の命令を受けた郡司の命令を里長が実行します。

 天皇中心の政治が地方の隅々まで行き渡る仕組みができます。

 700年代の奈良時代にこの仕組みが完成していたことが驚きです。

③ 大宰府と多賀城

 地方の役所の中で重要な役割を与えられたところがあります。

 九州の「大宰府」です。

 白村江の戦いで負けた後に、唐・新羅が攻めてくる心配がありました。

 そのため、水城・大野城を建設したり、防人をおいたりします。

 西日本の防衛と政治の中心としておかれたのが「大宰府」です。

 東北の「多賀城」も特別な役割がありました。

 東北地方に蝦夷と呼ばれる人々がいました。

 この人たちは、政府の言うことをきかない人が多かったです。

 東北地方の政治や軍事を担当させる「多賀城」を置き、東北地方ににらみをきかせます。

まとめ

  • 701年に唐の律令にならって大宝律令がつくられた
  • は刑罰の決まり、は政治の仕組みであり、律令に基づいて政治を行う国を律令国家とよばれる
  • 中央の政治は天皇の命令が太政官に伝えられ、貴族が天皇の命令に従い政治を行っていた
  • 地方の政治は都から派遣された国司が政治を行い、下に、郡司里長が国司の命令を受けて政治を行う
  • 大宰府は九州の軍事と政治の中心の役所で多賀城は九州の軍事と政治の中心の役所である

用語確認 一問一答

① 701年に唐の律令にならって制定されたもの

② 律令によって政治を行う国家

③ 都から派遣され地方組織の国の政治を行った役職

④ 九州地方の政治や防衛にあたった機関

⑤ 東北地方の政治や防衛にあたった機関

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