皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。
「自分たちの手で政治を動かしたい!」 「もっと自由に、平等に生きたい!」
そんな熱い思いが日本中にあふれた時代がありました。それが「大正デモクラシー」です。
「教科書に出てくる吉野作造って何をした人?」「天皇機関説って難しい言葉だけど、どういう意味?」 今回は、大正時代のキラキラした自由の空気と、今の日本に繋がる民主主義のルーツを、世界一わかりやすく解説します!
大正デモクラシー
1. 大正デモクラシーってなに?
大正デモクラシーとは、大正時代(1910年代〜20年代)に日本で起きた「民主主義を求める自由な風潮や運動」のことです。
これまでの日本は、一部の有力な政治家(元老や藩閥)が勝手に物事を決めていました。でも、第一次世界大戦の勝利やロシア革命のニュースを聞いた国民は、「自分たちの声が届く政治」を強く求めるようになったのです。

2. なぜ大正デモクラシーになったの?
きっかけは主に3つあります。
- 第一次護憲運動の成功: 数万人の民衆が国会を取り囲み、藩閥内閣を倒したことで「国民の力で政治を変えられる!」とみんなが気づきました。
- 大戦景気による社会の変化: 工業が発展し、都市に住む労働者が増えました。雑誌や新聞もたくさん読まれるようになり、新しい考え方が広まりやすくなったのです。
- 米騒動の衝撃: 1918年、富山県の主婦から始まった「お米を安くして!」という運動が全国に広まりました。これにより、ついに平民出身の原敬(はら たかし)が本格的な政党内閣を作ることになったのです。
3. 歴史を変えた2人のヒーロー:吉野作造と美濃部達吉
大正デモクラシーには、土台となる理論を作ったすごい先生が2人います。
★ 吉野作造(よしの さくぞう):民本主義

彼は「民本主義(みんぽんしゅぎ)」を唱えました。
- 意味: 「主権が誰にあるかは置いといて(※天皇主権の時代だったので)、政治の目的は民衆の利益のためであり、決定は民衆の意見で行うべきだ!」という考え。 これが国民にめちゃくちゃ響き、普通選挙を求める運動に火がつきました。

★ 美濃部達吉(みのべ たつきち):天皇機関説

彼は「天皇機関説(てんのうきかんせつ)」を広めました。
- 意味: 「国家が一つの法人(チーム)であり、天皇はその中で最高位の『機関(パーツ)』である」という考え。 「天皇は絶対的な神様!」というより「国家というシステムの一部」と捉えることで、議会(みんなの話し合い)を尊重する政治に理屈をつけたのです。
4. 大正デモクラシーが日本に与えた影響
この時代の空気は、日本を大きく変えました。
- 政党政治の定着: 選挙で勝った第一党の党首が首相になる「憲政の常道」というルールができました。
- 普通選挙法(1925年): ついに25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられました(※まだ女性にはありませんでしたが、大きな一歩です)。
- 社会運動の活発化: 女性の権利を求める運動(平塚らいてう)、部落差別をなくそうとする運動(全国水平社)、労働組合の結成など、「不平等はおかしい!」と声を上げるのが当たり前の時代になりました。
5. 基礎用語の確認!一問一答(テストに出るよ!)
【問1】 大正時代に広まった、民主主義や自由を求める政治・社会的な風潮を何といいますか?
【問2】 吉野作造が唱えた、政治の目的は民衆にあるべきだとする思想を何といいますか?
【問3】 美濃部達吉が唱えた、天皇は国家という法人の中の一つの機関であるとする説を何といいますか?
【問4】 1925年、25歳以上のすべての男子に選挙権を与えることを決めた法律を何といいますか?
【問5】 「元始、女性は太陽であった」という言葉で有名な、女性解放運動を指導した人物は誰ですか?
6. 一問一答・答え
【問1】 大正デモクラシー
【問2】 民本主義
【問3】 天皇機関説
【問4】 普通選挙法
【問5】 平塚らいてう
7. 入試・定期テストに出やすい記述問題と答え
【問題】 吉野作造が唱えた「民本主義」が、当時の人々に受け入れられたのはなぜですか。「主権」と「民衆」という言葉を使って説明しなさい。
8. まとめ






コメント