江戸幕府の終わり頃
二つの考え方があった
天皇を尊ぶ尊王論
外国勢力を排除しようとする攘夷論
これが合わさり尊王攘夷運動になっていく
尊王攘夷運動とは
尊王攘夷運動の弾圧と変化
わかりやすく、簡単に解説していきます。
キーワード
・尊王論
・攘夷論
・尊王攘夷運動
・井伊直弼
・安政の大獄
・桜田門外の変
尊王攘夷運動
① 尊王論と攘夷論
江戸幕府の末期に二つの考え方が出てきました。
尊王論と攘夷論
尊王論は、天皇を尊ぶ
天皇の地位や権威、伝統を大事にしようとする考え方
攘夷論は、外国の勢力を排除して鎖国体制を守る
外国勢力を排除して、鎖国体制を守ろうとする考え方
二つの考え方が合わさって「尊王攘夷運動」になりました。
天皇の地位や権威、伝統を大事にしようとし、外国勢力を排除して、鎖国体制を守ろうとする考え方
② 安政の大獄
尊王攘夷運動は幕府の対外政策を批判しました。
江戸幕府は幕府を批判した人物の処罰を行いました。
処罰を行った人は、朝廷の許可を得ずに日米修好通商条約を結んだ大老の井伊直弼です。
井伊直弼は尊王攘夷運動を弾圧していきます。
安政の大獄です。
雄藩の大名、公家、家臣や尊王攘夷運動で幕府を批判した者を処罰した
大名や家臣に謹慎を命じます。
100人以上の投獄
8人を処刑しました。処刑された人物の中には松下村塾をつくった吉田松陰がいました。
井伊直弼に対する不満が尊王攘夷運動をする人の中で高まっていきます。
③ 桜田門外の変
尊王攘夷運動の人々から井伊直弼に対する不満が高まります。
特に、尊王攘夷運動の中心であった水戸藩で井伊直弼に対する怒りはすさまじいものでした。
その結果、元水戸藩士によって井伊直弼は暗殺されてしまいます。
「桜田門外の変」です。
大老の井伊直弼が元水戸藩士たちによって暗殺された事件
大老の井伊直弼が暗殺される。
大老は現在の内閣総理大臣のような政治の中心人物です。
暗殺されることで幕府の権威は衰えます。
幕府は権威の回復に努めます。
④ 公武合体策
幕府は幕府政治の安定を図るために、天皇や朝廷との結びつきを強めようとしました。
これを「公武合体策」といいます。
江戸幕府が幕府政治を安定させるため、天皇や朝廷と結びつきを強めようとした
江戸幕府は孝明天皇との結びつきを強めます。
孝明天皇の妹の和宮を第14代将軍の徳川家茂に嫁がせました。
徳川家茂は雄藩の薩摩藩や朝廷の意見を取り入れながら政治を行っていきます。
まとめ
用語確認 一問一答
① 天皇を尊ぶ考え
② 外国勢力を排除しようとする考え
③ 天皇を尊び、外国勢力を排除しようとする運動
④ 大老の井伊直弼が行った尊王攘夷運動の人々を処罰、弾圧した出来事
⑤ 大老の井伊直弼が暗殺された事件
⑥ 江戸幕府が天皇や朝廷との結び付きを強めようとした政策
用語確認 一問一答 ~答え~
① 尊王論
② 攘夷論
③ 尊王攘夷運動
④ 安政の大獄
⑤ 桜田門外の変
⑥ 公武合体策