イギリスからはじまった産業革命
日本の産業革命が進んでいった
最初に紡績業、製糸業などの軽工業の発展
後に重工業の発展
日本の産業革命の問題点
わかりやすく、簡単に解説していきます。
キーワード
・紡績業
・製糸業
・軽工業
・重工業
・工女
・足尾銅山鉱毒事件
日本の産業革命
① 軽工業の発展
日本は殖産興業政策で経済を発展させました。
明治政府は官営模範工場を作ります。
その1つが「富岡製糸場」です。
お金がかからない、高い技術が必要がない産業から発展します。
それは「製糸業」「紡績業」です。
これらは「軽工業」と言われます。
比較的軽い製品を生産する工業で綿、絹、麻、羊毛などを生産する
② 製糸業
製糸業は蚕の繭から生糸を作る産業です。
富岡製糸場が有名です。
生糸を作って海外に輸出をしました。
日本の生糸は世界最高品質です。海外でも人気がありました。
特にアメリカです。
アメリカに輸出され生糸はストッキングなどに加工されました。
日本の最高品質の生糸のストッキングはアメリカ人が好んで買いました。
③ 紡績業
紡績業は、綿花から綿糸を作る産業です。
紡績工場では、綿花から綿糸をつくり、アジアの国々に輸出をしていました。
綿糸は普段着に加工されていました。
③ 生糸・綿糸の輸出
生糸・綿糸ともに外国に輸出をされました。
生糸・綿糸の国内生産量は大きくなります。
結果、生糸・綿糸の輸出量が増え、輸入量が減りました。
生糸や綿糸の輸出で外貨を稼ぐことができます。
輸出で稼いだお金で日本は何を買ったのか。
「軍艦」や「近代兵器」を買います。
結果、「日清戦争」や「日露戦争」に勝利しました。
日本の生糸・綿糸の貿易が戦争での勝利に関係しています。
④ 重工業の発展
軽工業の後
「製鉄業」「造船」「鉄道業」などが発展します。
「重工業」です。
比較的重い製品を生産する工業、鉄鋼、石炭、機械、船舶などを生産する
製鉄業では、北九州の八幡に八幡製鉄所が作られました。
1901年に建設された製鉄所で国内の鉄の大半を生産するようになる
八幡製鉄所は日清戦争の賠償金によって作られました。
戦争に勝利したことで産業も一歩前進しました。
北九州に作られた理由は近くに炭鉱や鉱山があったこと
港が近くて輸出入に便利なことがありました。
重工業の発展で、日本各地に重工業の造船・鉄工所が作られました。
⑤ 重工業の原料
産業革命が軽工業から重工業へ進んでいきます。
重工業の発展のためには、石炭や鉄鉱石が必要です。
炭鉱や鉱山の開発が全国各地で進みます。
日本の産業革命の問題点
イギリスで起きた産業革命にも多くの問題点がありました。
日本でも同様な問題が起きました。
① 工女の労働問題
製糸業で働く女性を「工女」と呼びます。
工女は劣悪な環境で働かされていました。
工女は貧しい農家の生まれの子が多いです。
親が借金をして娘を働かせに行かせていました。
工女の労働時間は12時間を超える長時間労働です。
親が借金をしているため、安い給料から借金返済にあてられます。
工場から抜け出して実家に戻しても、借金があるため、工場に戻されます。
一方で「100円工女」と言われる高い技術を持ち、高い給料を得る工女をあらわれました。
② 炭鉱事故
重工業の発達で炭鉱が開発されました。
どんなに注意をして掘っていっても、事故が発生します。
日本の炭鉱事故の死者が5万人近くにのぼりました。
炭鉱事故には、地下水や河川水が突然溢れてしまう出水事故
溜まったメタンガスが爆発する事故
炭車が暴走したり脱輪したりする炭車事故などがありました。
③ 足尾銅山鉱毒事件
日本の初とも言われる公害問題です。
明治時代、足尾銅山は産出量が多い銅山でした。
銅を取り出す時に発生する化学物質が渡良瀬川に流れ込み、魚が大量に死にます。
また、渡良瀬川の水を使う流域の農作物にも大きな被害を与えました。
衆議院議員・田中正造を中心に反対運動が起こります。
田中正造は、鉱毒防止令を制定させましたが、効果はあまりありませんでした。
まとめ
用語確認 一問一答
① 比較的軽い製品を生産する工業で綿、絹、麻、羊毛などを生産する工業
② 生糸を生産する産業
③ 綿糸を生産する産業
④ 日清戦争の賠償金で建設された製鉄所
⑤ 銅山から出た化学物質で、田中正造が政府に訴えた銅山の名前
用語確認 一問一答 ~答え~
① 軽工業
② 製糸業
③ 紡績業
④ 八幡製鉄所
⑤ 足尾銅山