1894年
日本は清と戦争となった
「日清戦争」である。
日本と清が戦った日清戦争とは
日清戦争のきっかけは甲午農民戦争とは
日清戦争の講和条約である下関条約とは
わかりやすく、解説していきます。
1894年 日清戦争
① 東アジアの状況
上の絵は日清戦争前の東アジアの状況を表わしています。
左の釣り人が「日本」
右の釣り人が「清(中国)」
足の上にいる釣り人が「ロシア」
魚には「COREE」と書かれており「朝鮮国」
日本と清が朝鮮を釣り上げよう(自分のものにしよう)としています。
朝鮮はどちらに釣られようとしているのか?
「清(中国)」の針の方に進んでいます。清(中国)はエサをまいています。
日本は「ひっかけてでも釣ってやる」と怖い顔で釣りをしています。
一方、ロシアは釣り竿を持っていません。
タバコを吹かしながら余裕を持って日本と清の釣りを見ています。
ロシアは「どっちが釣っても脅せば自分の物になる」と思っているので余裕です。
② 日本の動き
日本は列強(一等国)になるために、軍備を拡大していました。
目をつけたのが「朝鮮」です。
日本は過去の「元寇」の経験から朝鮮半島から攻められる危険性を感じていました。
大国のロシアや清が朝鮮半島を支配することに警戒していました。
過去の経験から朝鮮半島を他国にとられないよう多額の予算で軍備を整えていきます。
しかし、朝鮮半島では清の勢力の方が優位になっていました。
③ 甲午農民戦争
1894年
朝鮮で宗教である東学を信仰する団体が蜂起しました。
「甲午農民戦争」です。
朝鮮で東学を信仰する団体が農民軍を結成し朝鮮半島南部で蜂起したこと
朝鮮は甲午農民戦争の蜂起を早く鎮めたいと思います。
朝鮮は「清に援軍」をお願いします。
清は朝鮮に援軍を派遣しました。
日本は援軍を求められていませんでしたが、清の動きに対抗して朝鮮半島へ軍を派遣しました。
甲午農民戦争は朝鮮政府によって抑えられました。
しかし、甲午農民戦争が終わった後も、日本と清は朝鮮に滞在。
両国が朝鮮半島で軍事衝突が起きました。
「日清戦争」のはじまりです。
甲午農民戦争は「日清戦争のきっかけ」です。
④ 日清戦争~日本の勝利~
1894年
日清戦争が起こります。
兵力と軍艦の比較です。
日本は兵力24万人、軍艦6万トン
清は 兵力63万人、軍艦8.5万トン
日本の方が不利なように思えます。
しかし、日本は明治時代からの「富国強兵」の成果が出ます。
まず「徴兵令」の成果です。
西洋式の近代的な軍隊となっていました。
続いて「殖産興業」の成果です。
殖産興業で作られた「生糸」などを輸出して外貨を稼いでいました。
輸出で得たお金で「近代兵器」を購入していました。
清にも問題があります。
お金がなかったのです。
火薬がなかったため、大砲に砂を入れて飛ばそうとした。
武器がないため、石を投げて反撃してきた。
「徴兵令」と「近代兵器」による日本は勝利を収めました。
⑤ 下関条約
山口県の下関で講和条約を結びます。
「下関条約」です。
日清戦争の講和条約
下関条約の内容です。
(1) 清は朝鮮の独立を認める
(2) 清は日本に遼東半島、台湾、澎湖諸島をゆずる
(3) 賠償金2億テール支払う
(1)により、朝鮮から清の影響力の排除に成功します。
(3)の賠償金でさらなる軍備の拡大を行います。また、北九州に「八幡製鉄所」を建設しました。
⑥ 三国干渉
日清戦争で日本が勝利した後
ロシアが動きます。
ロシアは日本が朝鮮半島や清への影響力を伸ばすことを嫌っていました。
ロシアはドイツとフランスを誘い、遼東半島を清に変換するように求めます。
「三国干渉」です。
ロシアがドイツ、フランスとともに日本が獲得した遼東半島を清に返すことを要求したこと
三国干渉の結果
日本は遼東半島を清に返還しました。
ロシアと軍事的に対抗する力がなかった日本は苦渋の選択でした。
三国干渉から2年後
ロシアは日本が返した遼東半島の大連、旅順を勢力下におきました。
日本として面白くありません。
ロシアへの敵対心が出てきます。
ロシアに対して「臥薪嘗胆(復讐を成功するために苦労に耐えるという意味)」をスローガンに対抗していきます。
まとめ
用語確認 一問一答
① 朝鮮半島で起きた東学を信仰する団体が組織した農民軍による反乱
② 日本と清との戦争
③ 日清戦争の講和条約
④ ロシアがドイツ、フランスとともに日本に返還を求めた半島の名前
⑤ ロシアがドイツとフランスと共に遼東半島を清に返還するように求めたこと
用語確認 一問一答 ~答え~
① 甲午農民戦争
② 日清戦争
③ 下関条約
④ 遼東半島
⑤ 三国干渉