「正徳の治」「新井白石」をわかりやすく簡単に解説

歴史
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 江戸時代

 第6、7第将軍に仕えた「新井白石

 新井白石が行った政治が「正徳の治

 新井白石の行った貨幣を元に戻す

 長崎貿易の制限について

 正徳の治について

 わかりやすく、簡単に解説していきます。

正徳の治

(新井白石 出典:Wikipedia

 江戸幕府の第6代将軍徳川家宣

 第7代将軍徳川家継のもとで新井白石が進めた政治を「正徳の治」といいます。

正徳の治

 第6、7第将軍のもとで新井白石が行った政治

 第5代将軍の徳川綱吉の政治で世は乱れていました。

・動物愛護の法律の生類憐みの令により動物への嫌悪感

・貨幣の質を落としたことにより物価の上昇

・幕府のお金を使い、寺社や催し物を行い財政悪化

 新井白石は乱れた政治を儒教を基に立て直そうとしました。

① 生類憐みの令の廃止

 新井白石

 徳川綱吉の悪政を正す

 すぐに生類憐みの令を廃止します。

 これは新井白石が行った政治というわけではありません。

 第6代将軍徳川家宣綱吉の死亡10日後に廃止します。

 綱吉は「生類憐みの令の継続」を望んでいました。

 しかし、10日後にやめるくらい、評判が良くない政策でした。

② 貨幣を元に戻す

 新井白石は物価が上昇している現状を変えようとします。

 物価の上昇の原因貨幣の質を下げたことです。

 新井白石は貨幣の金の含有量を元に戻させました。

 これで、物価の上昇がおさまりました。

 しかし、逆に物価の下落をもたらします。

 物の値段が下がる。

 一見、良いように思えます。

 しかし、

 物の値段が下がる⇒給料が下がる⇒物が買えなくなる⇒不景気になる

 という不景気のサイクル入ってしまいました。

③ 長崎貿易の制限

 長崎でのオランダ、清との貿易

 日本は輸出品に金・銀が使われていました。

 この結果、大量の金・銀が海外に流出していました。

 新井白石は、金・銀の流出を防ぐために長崎での貿易の制限しました。

 しかし、問題が起きました。

 長崎の貿易の制限により、不景気になります。

 江戸幕府は貿易によって利益を得ていた側面がありました。

 長崎での貿易を制限することで、金・銀が出て行かない代わりに、外国の製品が入ってくる量にも制限がかかります。

まとめ

  1. 第6、7代将軍のもとで新井白石が進めた政治を「正徳の治」という
  2. 新井白石徳川綱吉の政治から新しい政治へと立て直そうとした
  3. 第6代将軍徳川家宣が生類憐みの令を廃止した
  4. 貨幣の価値を元に戻すことで物価の上昇に歯止めをかけた
  5. 長崎貿易を制限することで日本から金・銀の流出に歯止めをかけた
  6. 貨幣を元に戻し物価が下落したことと貿易を制限することにより不景気になった

用語確認 一問一答

① 第6、7代将軍につかえた人物

② 新井白石が行った政治

用語確認 一問一答 ~答え~

① 新井白石
② 正徳の治

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