江戸時代
第6、7第将軍に仕えた「新井白石」
新井白石が行った政治が「正徳の治」
新井白石の行った貨幣を元に戻す
長崎貿易の制限について
正徳の治について
わかりやすく、簡単に解説していきます。
正徳の治
江戸幕府の第6代将軍徳川家宣
第7代将軍徳川家継のもとで新井白石が進めた政治を「正徳の治」といいます。
第6、7第将軍のもとで新井白石が行った政治
第5代将軍の徳川綱吉の政治で世は乱れていました。
・動物愛護の法律の生類憐みの令により動物への嫌悪感
・貨幣の質を落としたことにより物価の上昇
・幕府のお金を使い、寺社や催し物を行い財政悪化
新井白石は乱れた政治を儒教を基に立て直そうとしました。
① 生類憐みの令の廃止
新井白石は
徳川綱吉の悪政を正す
すぐに生類憐みの令を廃止します。
これは新井白石が行った政治というわけではありません。
第6代将軍徳川家宣が綱吉の死亡10日後に廃止します。
綱吉は「生類憐みの令の継続」を望んでいました。
しかし、10日後にやめるくらい、評判が良くない政策でした。
② 貨幣を元に戻す
新井白石は物価が上昇している現状を変えようとします。
物価の上昇の原因は貨幣の質を下げたことです。
新井白石は貨幣の金の含有量を元に戻させました。
これで、物価の上昇がおさまりました。
しかし、逆に物価の下落をもたらします。
物の値段が下がる。
一見、良いように思えます。
しかし、
物の値段が下がる⇒給料が下がる⇒物が買えなくなる⇒不景気になる
という不景気のサイクル入ってしまいました。
③ 長崎貿易の制限
長崎でのオランダ、清との貿易
日本は輸出品に金・銀が使われていました。
この結果、大量の金・銀が海外に流出していました。
新井白石は、金・銀の流出を防ぐために長崎での貿易の制限しました。
しかし、問題が起きました。
長崎の貿易の制限により、不景気になります。
江戸幕府は貿易によって利益を得ていた側面がありました。
長崎での貿易を制限することで、金・銀が出て行かない代わりに、外国の製品が入ってくる量にも制限がかかります。
まとめ
用語確認 一問一答
① 第6、7代将軍につかえた人物
② 新井白石が行った政治
用語確認 一問一答 ~答え~
① 新井白石
② 正徳の治
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