江戸時代
江戸幕府はオランダと清と貿易を行った
ロシアが通商を求めて日本にやってきた
江戸幕府はロシアへの対策を行った
ラクスマンは何をしたのか
レザノフは何をしたのか
わかりやすく、簡単に解説していきます。
キーワード
・ラクスマン
・レザノフ
・間宮海峡
ロシアの接近
① ラクスマンの来航
1792年
老中が松平定信で寛政の改革を行っているとき
ロシアから使節がやってきました。
ラクスマンです。
「使節」とは国同士で自国の考えや要求を伝えたり、交渉やしたりするにやってくる人物です。
ラクスマンはロシアの要求を伝え、交渉するためにやってきました。
ラクスマンは蝦夷地(現在の北海道)の根室に来航します。
ロシアは日本の漂流民の大黒屋光太夫たちを送り届けてくれました。
送り届けた後に「通商」つまり貿易を求めてきました。
しかし、江戸幕府は「鎖国」をしています。
松平定信は「長崎以外では交渉できない」と答えます。
ラクスマンに長崎の入港許可証をわたします。
ラクスマンはロシアへと帰っていきました。
② レザノフの来航
1804年
松平定信の「長崎以外では交渉できない」という言葉
長崎の入港許可証をもらったロシアは、長崎に使節を送ります。
長崎にやってきた使節は「レザノフ」です。
レザノフはロシア国王の親書を持ってきました。
レザノフは長崎で江戸幕府との交渉をはじめようとします。
しかし、レザノフは待たされます。
待たされること半年
半年後に江戸幕府に入港許可証を没収されます。
江戸幕府は清、オランダ、朝鮮、琉球王国以外とは関係を持たないことが国の決まりであるとして、通商を拒否。
さらに、国王の親書の受け取りを拒否しました。
江戸幕府の無礼な対応
追い返されたレザノフは怒ります。
ロシアに帰国する途中に蝦夷地を砲撃して帰っていきます。
③ 江戸幕府のロシア対策
江戸幕府はレザノフの蝦夷地の砲撃に衝撃を受けます。
ロシアが攻め込んでこないように対策をたてます。
まず、蝦夷地を幕府の直接の支配地にしました。
これで、警備をしやすくなります。
次に間宮林蔵らを命じて蝦夷地(北海道)や樺太の調査を行います。
間宮林蔵は樺太が半島ではなく、島であることを発見しました。
そのため、樺太と大陸の間に「間宮海峡」と名前がつけられました。
まとめ
用語確認 一問一答
① 1792年に蝦夷地(北海道)の根室に来航したロシアの使節
② 1804年に長崎に来航したロシアの使節
③ 江戸幕府に命じられ樺太の調査に行った人物
用語確認 一問一答 ~答え~
① ラクスマン
② レザノフ
③ 間宮林蔵