「江戸時代の教育の広がり」とはわかりやすく簡単に解説

歴史
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 江戸時代

 武士は武芸だけでなく学んでいた

 藩校や私塾で武士は学ぶ

 町人は商売だけでなく学んでいた

 寺子屋で町人や庶民は学んだ

 どのような学んだのか

 どこで学んだのか

 わかりやすく、簡単に解説していきます。

キーワード

・藩校

・私塾

・寺子屋

江戸時代の教育の広がり

① 藩校~武士の教育~

 江戸時代の藩は学問にも力を入れます。

 各藩に藩校をつくります。

 武士の人材育成を行います。

藩校

 各藩がつくった武士の人材育成を目的とした学校

 藩校で有名なところは

・岡山藩の閑谷学校
・長州藩の明倫館
・水戸藩の弘道館

 岡山の閑谷学校は藩校の中で一番古いものです。

 長州の明倫館は現在は明倫小学校があります。幕末の志士たちが学んでいました。

 水戸の弘道館では、尊王攘夷運動や水戸学を学んでいました。

② 私塾

 藩がつくった藩校だけでなく、私塾で学ぶ武士もいました。

 藩校は藩のための人材をつくることが目的です。

 しかし、私塾は学ぶことを目的です。

 医学科学政治などを学びます。

 藩校で学べなかった者が私塾で学ぶパターンもありました。

 私塾で有名なところは

・萩藩(山口)の吉田松陰松下村塾
・三重の本居宣長の鈴屋
・大阪の緒方洪庵適塾
・長崎のシーボルト鳴滝塾

 松下村塾は幕末の志士の高杉晋作、内閣総理大臣になった伊藤博文、山縣有朋などが学びました。吉田松陰の教えがいかに日本の未来のためになったかが分かります。

 本居宣長古事記伝を著わし国学を大成させた人物です。また、エレキテルの発明、土用の丑の日にうなぎを食べることを発案しました。

 適塾は医師の緒方洪庵のもとで学びました。福澤諭吉は適塾で学んでいました。

 鳴滝塾はシーボルのもとで医学や科学の学問をしていました。

③ 寺子屋

(寺子屋の筆子と女性教師 一寸子花里「文学ばんだいの宝」 出典:Wikipedia

 寺子屋とは庶民、特に商人が読み、書き、そろばんを教えてもらった場所です。

寺子屋

 町人を中心に読み、書き、そろばんを教える場所

太子君
太子君

読み、書き、そろばんができるメリットは何だろうか?

 読み、書き、そろばんができるメリットは、様々あります。

 読みができることで、契約書などを読むことができます。

 不正が行われにくくなります。

 小説を読むことができ、文化面で成長できます。

 寺子屋で読みができることで、江戸の町で小説の流行がありました。

 書きができること、商売を記録できます。

 記録できることで、詐欺に遭いにくくなります。

 そろばんができることで計算ができます。

 計算ができることで詐欺にありにくくなります。

 読み・書き・そろばんを覚えることで、商売のいろはを学ぶこともできます。

 寺子屋のおかげで江戸の識字率は大きく上がります。

 識字率とは、文字を読んだり、書けたりする率です。

 当時、世界最先端の都市のロンドン

 ロンドンの識字率は20%程度です。

 江戸の識字率は80%程度です。

 江戸の教育の素晴らしさが分かると思います。

まとめ

  1. 各藩が藩校をつくり、武士の人材育成を行った
  2. 藩校だけでなく、各地で私塾がつくられ、政治、医療、科学などを学んだ
  3. 私塾で有名なのは萩藩で吉田松陰が教えていた松下村塾がある
  4. 庶民は寺子屋読み、書き、そろばんを学び商売をいろはを習った
  5. 江戸の識字率は当時の世界でトップレベルだった

用語確認 一問一答

① 各藩で武士の人材育成を行う学校

② 藩校ではなく、私的に設置された教育機関 

③ 江戸時代の庶民が読み、書き、そろばんを習う場所

用語確認 一問一答 ~答え~

① 藩校
② 私塾
③ 寺子屋

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