田沼意次は政治改革を行った
田沼意次が改革を行った時期を「田沼時代」「田沼の改革」とも言われる
これまでの「お米を重視」から
「経済を重視」することに重きを置いた
田沼意次とは何をしたか
田沼の改革とは
わかりやすく、解説していきます。
田沼時代~田沼の改革~
① 田沼意次
江戸時代
第10代将軍の徳川家治の時代
老中に就いたのが「田沼意次」です。
老中というのは江戸幕府の政治を行う中心人物です。
田沼意次が行った改革を「田沼の改革」
田沼意次が改革を行った時代を「田沼の時代」といいます。
田沼意次はどんな政策を行ったか、みていきましょう。
② 商工業の発展
田沼意次は、それまで年貢を増やす政策には限界を感じていました。
「新田開発」には限界があります。
また「年貢を増やす」ことで「打ちこわし」「百姓一揆」が起きていました。
田沼意次は、商人に目をつけます。そして、経済に力を入れていました。
田沼意次は、商工業者に「株仲間の結成」をすすめました。
株仲間とは「営業を独占できる組織」のことです。
田沼意次は、株仲間を認める代わりに、商工業者に「営業税」を納めさせました。
米で年貢を集めることしか頭になかった江戸幕府ですが、田沼意次は商工業者に目を向けた画期的な方法でお金を集めます。
株仲間を結成することで商工業者は営業を独占することができるため儲けることができます。
幕府は何もすることなく営業税が入ってきます。幕府、町人共にWin-Winな政策です。
③ 貿易の活性化
田沼意次は外国の貿易でお金を集めようとしました。
「貿易の活性化」です。
長崎の出島でオランダ、清と貿易を行っていました。
日本の輸出品は金銀銅でした。
日本の金銀銅が海外に流出してしまいます。
それを防ぐために新しい輸出品を見つけました。
フカヒレ、アワビなどの海産物です。
海産物を俵に入れ、清に輸出をしました。
中華料理を想像すると海産物が多く使われていることが分かり、目をつけました。
俵に入れたことから「俵物」と呼ばれます。
これにより貿易が活性化しました。
④ 貨幣の統一
江戸時代は西日本は銀、東日本は金が流通していました。
「銀の価値は重さ」「金の価値は小判の枚数」で決まっていました。
ややこしいです。
これでは、西日本と東日本とのお金のやり取りや物のやり取りがスムーズにいかない。
田沼意次は南鐐二朱銀という貨幣を作ります。
銀の場合でも「枚数で価値を決める」ことに変更します。
両替しなくても良くなり、物のやり取りはよりスムーズになります。
貨幣の統一で経済が発展していきます。
⑤ 印旛沼の開拓
現在の千葉県にある印旛沼の開拓を行おうとしました。
沼地を田んぼにすることで年貢を増やす政策です。
田沼らしくなく、年貢を増やす政策です。
開拓の工事は進んでいきました。
しかし、洪水に見舞われ、印旛沼の開拓は失敗に終わります。
⑥ わいろ政治
田沼意次の時代はわいろが横行した時代です。
わいろとは「お金や物をわたすことで地位や特権を認めてもらうこと」です。
現在はわいろをもらった政治家は逮捕されてしまいます。
しかし、江戸時代は違います。
江戸時代はわいろはつきものでした。
見積書に「わいろの値段」が書かれているほど普通に行われていました。
田沼意次の時代だけのことではありませんでした。
どうして田沼意次に「わいろ」のイメージがつくのか。
それでまお米の年貢中心の社会を変えたからです。
「お米」ではなく「お金」を集めることを重視した田沼意次
わいろとして「お米」ではなく「お金」が特に集まるようになります。
田沼の時代の結果
田沼意次の改革の結果
幕府の収入は増え、経済は発展していきます。
経済が発展することで町人たちは生活に余裕が出てきます。
余裕が出てきたお金で文化が花開きます。
歌舞伎や浮世絵などが発展したのが田沼の時代です。
しかし、田沼意次の政治は意外な形で終わってしまいます。
「浅間山の噴火」「天明のききん」です。
「浅間山の噴火」が起こり、太陽が火山灰で隠されます。
そうすると作物が育ちません。
ききんが発生します。
ききんが起きれば、生活が苦しくなります。
「打ちこわし」や「百姓一揆」が起きます。
田沼意次は責任をとり老中をクビになってしまいました。
天災には勝てませんでした。
まとめ
用語確認 一問一答
① 江戸幕府10代将軍の時の老中
② 田沼意次は営業を独占できる組織である何の結成をすすめたか?
用語確認 一問一答 ~答え~
① 田沼意次
② 株仲間