江戸時代
1825年に出された
異国船打払令
異国船打払令とは外国船の撃退を命じたものである
どうして江戸幕府は異国船打払令が出されたのか?
わかりやすく、簡単に解説していきます。
キーワード
・フェートン号事件
・異国船打払令
・モリソン号
・渡辺崋山
・高野長英
・蛮社の獄
異国船打払令
① 外国船の来航
19世紀に入ると日本に外国船が来航することが多くなりました。
ラクスマン・レザノフの来航
フェートン号事件
1808年
イギリスの軍艦のフェートン号が長崎港に侵入しました。
これはオランダの船を捕らえるためです。
当時、オランダはフランスのナポレオン1世に支配されていました。
イギリスとフランスは戦争状態にありました。
そのため、フランスの属国(子分)であるオランダの船がイギリス軍艦のフェートン号に襲われていました。
フェートン号はオランダ商館員を捕らえます。
薪(まき)、水、食料を要求してきます。
日本はオランダからもらった薪、水、食料をわたすことにします。
結果、フェートン号は長崎港から出て行きました。
② 異国船打払令の制定
江戸幕府はフェートン号事件を受けて外国船の対応を考えます。
今後、同じように港が襲われ、薪、水、食料を要求されると江戸幕府の威信にかかわります。
フェートン号事件の後もイギリス船が日本近海に出現しました。
江戸幕府は「異国船打払令」を制定します。
外国船が日本に近づいた場合に砲撃を命じること
外国船が日本に近づけなくさせるための決まりをつくりました。
モリソン号事件
異国船打払令が制定された後
1837年にアメリカの商船のモリソン号が浦賀と薩摩藩の山川にやってきました。
モリソン号の目的は「日本の漂流民を送り届けること」です。
日本人を救助して日本まで送り届けてくれる。優しい行動です。
しかし、日本は異国船打払令があります。
近づいてきたモリソン号に砲撃をします。
モリソン号が「商船」だったから良かったですが、
もし「軍艦」だった戦争に発展したかもしれません。
③ 蛮社の獄
モリソン号事件が起き、幕府の対応を批判した人物がいます。
渡辺崋山と高野長英です。
2人との蘭学者です。だから、外国の状況や強さを知っていました。
政府を批判する書物を記します。
結果、渡辺崋山は自害となります。
高野長英が劇薬で人相を変えて、逃げます。
逃げ切れるかと思いきや、密告を受けて、自害に追いこまれます。
この事件を「蛮社の獄」といいます。
モリソン号の対応を批判した渡辺崋山、高野長英が自害に追いこまれる
「野蛮」な「会社」を「獄中」へ
「蛮社の獄」です。
現在考えると、2人の考えは真っ当な意見でした。
④ 異国船打払令をやめる
天保の改革を行った水野忠邦
この時代に清(中国)とイギリスの戦争が起こります。
アヘン戦争です。
当時の清は日本にとっては大国です。
その大国の清がイギリスに完膚なきまでに負けます。
これを受けて、水野忠邦は異国船打払令をやめます。
薪水給与令(しんすいきゅうよれい)を出します。
寄港した外国船に燃料や薪や水を与える命令
アヘン戦争で清が負けたことで、方向転換をしました。
水野忠邦は薪水給与令だけでなく、海の防衛の強化を行いました。
まとめ
用語確認 一問一答
① イギリスの軍艦が長崎港を襲った事件
② 日本に外国船が近づいたときに砲撃をする決まり
③ モリソン号事件を批判した人物を2人
④ 渡辺崋山と高野長英が処罰を受けたこと
⑤ 異国船打払令をやめるきっかけとなった戦争
用語確認 一問一答 ~答え~
① フェートン号事件
② 異国船打払令
③ 渡辺崋山と高野長英
④ 蛮社の獄
⑤ アヘン戦争