誰もが知っている聖徳太子
聖徳太子はどんなことをしたのか
聖徳太子は天皇中心の政治を行った
天皇中心の政治のため
冠位十二階、十七条の憲法をした
聖徳太子は遣隋使を送り、隋との交流を図る
聖徳太子の政治を
わかりやすく、簡単に解説していきます。
キーワード
・聖徳太子
・隋
・冠位十二階
・十七条の憲法
・遣隋使
聖徳太子
① 東アジアの様子
聖徳太子が生きていた頃の、東アジアの状況です。
中国は「宋」が滅んで「隋」という強大な帝国が統一していました。
隋は、すでに、律令(刑罰の決まりや政治の仕組みの法律)、戸籍、税の制度を整備していました。
西暦500年代で整備する。
強大な国だということが分かります。
② 聖徳太子とは
聖徳太子が政治を行っていた頃の日本の様子
有力な豪族が「誰を次の大王にするか」を争っていました。
有力な豪族に「蘇我氏」がいました
蘇我氏は渡来人と協力して、もう一方の有力な豪族の「物部氏」を滅ぼします。
蘇我氏は女性の推古天皇を即位させます。
推古天皇の甥(おい)だったのが「聖徳太子」です。
聖徳太子は蘇我馬子と協力をします。
聖徳太子は推古天皇の摂政になります。
天皇が幼い場合や女性の場合に代わりに政治を行う役職
③ 天皇中心の政治を目指す
聖徳太子が摂政となり政治を行います。
聖徳太子が目指した政治は
天皇中心の政治
です。
有力な豪族が中心になって政治を行うのではなく、
天皇が中心となって政治を行う国を目指します。
聖徳太子が行った政策は「天皇中心の政治」を目指すものです。
④ 冠位十二階
冠位十二階とは、冠の色で地位を表わします。
メリットは、家柄ではなく才能や功績のある人物を役人にできる制度です。
冠の色で地位を表わし、家柄ではなく才能や功績のある人を役人にできる制度
これまでは「家柄」を重視していました。
それが原因で家同士で権力争いが起きやすい状況でした。
「家柄中心の政治」になります。
冠位十二階で、才能や功績を重視することでより良い政治が行うことができる。
「天皇中心の政治」になりやすいです。
冠位十二階は「冠の色によって地位を定めた」一番位が高い色は、「紫」です。
⑤ 十七条の憲法
十七条の憲法は、仏教や儒教の考え方をとりいれたものです。
天皇の命令に従うべき、役人の心構えが示されました。
天皇に従う役人の心構えを示した
十七条の憲法により「天皇中心の政治」が強化されます。
十七条の憲法の条文です。
十七条の憲法
一に曰く、和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ
二に曰く、あつく三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり
三に曰く、詔をうけたまわりては必ずつつしめ
現代語訳
十七条の憲法
第一に、みんな仲良く、争いごとをやめなさい
第二に、仏、仏教、お坊さんを大事にしなさい
第三に、天皇の命令を守りなさい
「みんなが仲良くしよう」「怒るのはやめよう」という当たり前のことを示しました。
⑥ 遣隋使
聖徳太子は中国の「随」との交流を図ります。
「遣隋使」です。小野妹子を随に派遣しました。
小野妹子などを随に使者を送った
遣隋使は、随との「対等外交」を目指します。
聖徳太子が小野妹子にもたせた手紙には
日がのぼる国の天子より、日がしずむ国の天子へ手紙を送る
と書かれています。
これに随の皇帝の煬帝(ようだい)は怒ります。
理由は2つ
1つ目は、「天子」というのは中国の皇帝のことです。
それを日本が使っていることです。つまり、日本と隋は対等であるということを聖徳太子は示します。
2つ目は、隋のことを日がしずむ国と書かれていたことです。
これは、位置関係を示していますが、隋の煬帝は面白くありません。
しかし、隋は日本にお礼の使者を送っています。
理由は隋は高句麗を攻めようと考えていました。
日本と対立することは隋にとって得策ではないと考えました。
日本から隋に留学生を派遣し、交流が図られます。
まとめ
用語確認 一問一答
① 推古天皇の摂政となり政治を行った人物
② 聖徳太子が行った冠の色で地位を分け、実力がある者を役人に取り立てる仕組み
③ 聖徳太子がつくった天皇に従う役人の心構え
④ 隋に派遣した使節
⑤ 最初に隋に派遣された使節の中心人物
用語確認 一問一答 ~答え~
① 聖徳太子
② 冠位十二階
③ 十七条の憲法
④ 遣隋使
⑤ 小野妹子