「辛亥革命」とは分かりやすく簡単に解説

歴史
この記事は約4分で読めます。

 清(中国)は列強に支配をされていった

 清は弱体化をしていく

 その中で辛亥革命が起き中華民国を建国

 「辛亥革命」とは分かりやすく簡単に解説していきます。

キーワード

・日清戦争

・義和団事件

・孫文

・三民主義

・辛亥革命

・中華民国

辛亥革命

① 日清戦争

 朝鮮半島で起きた「甲午農民戦争」がきっかけで戦争が起きました。

 清は日本と戦争となりました。

 「日清戦争」です。

 日清戦争の講和条約は「下関条約」です。

下関条約

(1) 清は朝鮮の独立を認める

(2) 清は日本に遼東半島、台湾、澎湖諸島をゆずる

(3) 賠償金2億テール支払う

 日清戦争後、清は列強(一等国)によって分割されていきます。

 清から中国の港湾の租借権、鉄道の敷設権、鉱山の開発権などを奪っていきます。

 清(中国)は、イギリス、ドイツ、ロシア、フランス、日本によって切り分けられています。

② 義和団事件

 清の国内で事件が起きます。

 「扶清滅洋(清を助けて、外国勢力を排除する)」をスローガンに反乱がおきました。

 「義和団事件」です。

 この時、清は「この勢いにのって外国勢力を追い出そう!」と思い、宣戦布告をします。

 義和団事件は各国が兵を派遣して、鎮圧に成功しました。清は、賠償金を払うことが決まりました。

③ 孫文の三民主義

(孫文 出典:Wikipedia

 清の国内では「孫文」が立ち上がります。

 孫文は「清を倒して漢民族の独立と近代国家をつくる」と革命運動を起こしました。

 孫文が掲げたスローガンは「三民主義」です。

三民主義

 民族 民族の独立
 民権 政治的な民主化
 民政 民衆の生活の安定

 民主的な考え方です。

 三民主義を唱え武昌で軍隊が反乱を起こす革命運動武力蜂起が起こります。

 すると清の国内で次々と省が清からの独立を宣言しました。

 各省の代表者から支持を得た孫文臨時大総統になりました。

 アジアで最初の共和国である「中華民国」ができました。

 これを「辛亥革命」といいます。

辛亥革命

 孫文が起こした革命。武昌での軍隊の反乱が中国全土に広がり中華民国が建国された

④ 清の滅亡

(袁世凱 出典:Wikipedia

 清から多く省が独立をした結果、力を失います。

 清の皇帝から革命運動を倒すように頼まれた人物がいます。

 清の実力者であった「袁世凱

 袁世凱は孫文と取り引きを行いました。

 袁世凱が清を滅ぼすかわりに、孫文にかわり中華民国の臨時大総統にする

 全く三民主義ではありません。

 孫文は中華民国の軍事力が弱いことを自覚していたため、この取り引きを受けました。

 袁世凱は清の皇帝を退位させました。これにより清は滅亡します。

 臨時大総統になった袁世凱は、首都を南京から北京に移します。

 独裁をはじめます。

 全く三民主義ではありません。

⑤ 辛亥革命の結果

 辛亥革命の結果「中華民国」が建国されます。

 しかし、袁世凱による独裁がはじまります。

 中華民国は全ての省を掌握しているわけではありません。

 中華民国の各地を軍事力で支配する「軍閥」があらわれます。

 中華民国の政治が及ばない地域が出てきます。

 軍閥が各地を支配する日本の戦国時代のようななります。

 統一政府を持たない事態となってしまいます。

 三民主義の理想は叶いませんでした。

まとめ

  1. 日清戦争後、列強は清から中国の港湾の租借権、鉄道の敷設権、鉱山の開発権を得た
  2. 義和団事件で清は賠償金を列強に支払うことになる
  3. 三民主義を掲げる孫文革命運動を起こした
  4. 孫文の革命運動は中国各地に広がり、中華民国が建国された
  5. 中華民国が建国された革命を辛亥革命と呼ぶ
  6. 辛亥革命の結果袁世凱が独裁をはじめ、軍閥が各地を支配するようになる

用語確認 一問一答

① 日本と清との戦争

② 「扶清滅洋」をかかげた清が外国勢力を追い出そうとした反乱

③ 孫文が掲げた、民族、民権、民生からなる革命の指導理論

④ 孫文が起こした革命

⑤ 辛亥革命によって建国された国

用語確認 一問一答 ~答え~

① 日清戦争
② 義和団事件
③ 三民主義
④ 辛亥革命
⑤ 中華民国

タイトルとURLをコピーしました