「鎌倉幕府」とは わかりやすく簡単に解説

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鎌倉幕府

鎌倉幕府の誕生

 年表で次のことを調べました。

 ➀ 平氏の政治は何年続いたでしょうか?

 ➁ 鎌倉幕府は何年続いたでしょうか?

 調べてみると驚きます。

 平清盛が太政大臣になったから平氏が滅びるまで

 たったの「18年」です。

 一方、鎌倉幕府です。

 1185年に朝廷から守護・地頭の設置を認められたのが、鎌倉幕府の成立です。

 1192年の源頼朝の征夷大将軍に就任した年とも言われますが、最近は1185年が主流です。

 鎌倉幕府が滅びたのはいつか?

 「1333年」です。

 鎌倉幕府は100年以上続いています。

どうして、平氏の政治は短命で、鎌倉幕府は長く続いたのでしょうか?

鎌倉幕府の主な政策

 鎌倉幕府が最初に行った政策です。

① 朝廷に国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭を置くことを認めさせた

② 源義経と奥州藤原氏を滅ぼす

③ 征夷大将軍に任命、政治制度を整備した

④ 武士に以前からの土地を保護、新しい領地を与えた(御恩)

⑤ 将軍に忠誠を誓った武士(御家人)は生命をかけて軍役を果たす(奉公)

➀~➄の中で鎌倉幕府が続くことに最も役立ったのは?

① 朝廷に国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭を置くことを認めさせた

 国とは現在の都道府県のようなものだと思ってください。

 朝廷から国ごとに「守護」という武士を役人として置くことを認めさせました。

 荘園や公領は土地です。

 土地ごとに「地頭」という武士を役人としして置くことを認めさせました。

 鎌倉幕府の息のかかった武士が国や荘園、公領を支配します。

 鎌倉幕府が全国を支配する形になります。

② 源義経と奥州藤原氏を滅ぼす

 弟の源義経を滅ぼします。

 戦いの天才と言われた源義経。

 もしも、源義経が裏切って鎌倉に攻めてきたら・・・。

 戦いが終わった後は、源頼朝にとって不要な存在だったのかもしれません。

 奥州藤原氏は岩手県の平泉を中心に栄えていました。

 中尊寺金色堂を作ったことでも有名です。

 大きな力を持っている人物を討ち取りライバルを消します。

③ 征夷大将軍に任命、政治制度を整備した

 征夷大将軍がになることで武士のトップであることが確立をします。

 自分自身の地位を確立できました。

 また、政治制度を整備しました。

④ 武士に以前からの土地を保護、新しい領地を与えた(御恩)

 鎌倉幕府が武士の土地を保障してあげました。 

⑤ 将軍に忠誠を誓った武士(御家人)は生命をかけて軍役を果たす(奉公)

 ④の御恩を認める代わりに、御家人は命をかけて、鎌倉幕府のために戦います。

 戦いになった時は「いざ鎌倉へ!」と戦いに駆けつけます。

承久の乱

➀~➄の中で鎌倉幕府が続くことに最も役立ったのは?

 鎌倉幕府にもピンチがありました。

 1221年です。後鳥羽上皇が執権の北条義時を倒す命令を出しました。

 急に「執権」や「北条氏」が出てきました。

 説明します。

 北条氏とは、源頼朝の妻である北条政子の家です。代々、鎌倉幕府の執権という役職についていました。

 鎌倉幕府のトップは将軍でした。

 しかし、源氏は三代で血が途絶えてしまいました。

 後の将軍は、都の貴族から任命しました。将軍はおかざりのような存在になりました。

 実質、政治を行っていたのは、「執権」の北条氏です。

 承久の乱が起きた時

 鎌倉幕府の御家人の多くは、朝廷側(天皇側)につこうと考えていました。

 これまで武士が朝廷に兵をあげることはほぼなかったからです。

 朝廷側につこうとしていた御家人の気持ちをかえたのは、北条政子の演説です。

 みなの者、よく聞きなさい。これが最後の言葉です。頼朝公が朝廷の敵を倒し、幕府を開いてこの方、間食(役職)といい、土地といい、その恩は山より高く、海より深いものでした。みながそれに報いたいという志はきっと浅くないはずです。名誉を大事にする者は、京都に向かって出陣し、逆臣(後鳥羽上皇側の御家人)をうち取り、幕府を守りなさい。

 北条政子の演説を聞いた結果、多くの御家人が、鎌倉幕府を守るために戦いました。

 その結果、鎌倉幕府側が朝廷側に勝つことができました。

鎌倉幕府が続くことに最も役立ったのは?

➀~➄の中で鎌倉幕府が続くことに最も役立ったのは?

① 朝廷に国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭を置くことを認めさせた
② 源義経と奥州藤原氏を滅ぼす
③ 征夷大将軍に任命、政治制度を整備した
④ 武士に以前からの土地を保護、新しい領地を与えた(御恩)
⑤ 将軍に忠誠を誓った武士(御家人)は生命をかけて軍役を果たす(奉公)

 北条政子の演説から「④・⑤」が重要だと分かります。

 特に④です。

 「武士に以前からの土地を保護、新しい領地を与えた(御恩)」

 だからこそ、承久の乱の時に御家人は鎌倉幕府のために戦ってくれたのです。

六波羅探題と御成敗式目

 承久の乱の後、朝廷を監視するために、「六波羅探題」を京都に置きました。

 二度と朝廷側が鎌倉幕府に手を出さないように監視をしました。

 三代目の北条泰時が「御成敗式目」という武士の慣習に基づく法律を作成しました。

 これは江戸時代までずっと武士の見本となるならわしとされました。

 このページは、重要語句が多く出てきました。

 まずは覚えてほしいので暗唱をしました。

 みなさんスラスラ言えますか?

鎌倉幕府のキーワード
1 国ごとに守護、荘園ごとに地頭を置く
2 御恩で御家人の土地を保障
3 奉公で命をかけて幕府のために戦う
4 執権は北条氏の役職
5 承久の乱後、朝廷監視の六波羅探題
6 御成敗式目 武士の慣習に基づく法律

 まずは、単語を覚えてください。

 そして、意味を知って活用できるようになってください。

 単語と意味をセットで覚えるとテストでも怖くはない。

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