1854年
日米和親条約によって
江戸幕府は開国をしました。
1858年
日米修好通商条約によって
アメリカやイギリスなどと貿易をはじめた
開国の影響とは
わかりやすく、簡単に解説していきます。
キーワード
・国内産業の打撃
・金の流出
・物価の上昇
開国の影響
1853年日米和親条約で日本は開国しました。
1858年に日米修好通商条約を結びます。
下田・函館、神奈川、長崎、兵庫の5つの港が開港しました。
最大の貿易港だった、横浜の街並みがとてもきれいに整えられます。
① 貿易相手
開国後の貿易相手国です。
最大の貿易相手はイギリスです。
開国させたペリーと通商条約を結ばせたハリスはアメリカの人です。
アメリカとの貿易は大幅に減っています。
これは、アメリカ国内で「南北戦争」が起こったからです。
南北戦争により日本と貿易をしている場合ではありません。
そのため、イギリスとの貿易がさかんに行われるようになりました。
② 貿易品
日本は毛織物、綿織物を輸入していました。
産業革命をおこしたイギリスから輸入をします。
品質が良い製品が大量に日本に入ってきました。
その結果、日本の織物業が打撃を受けます。
開国の影響で日本の織物業は倒産に追いこまれるところがありました。
輸出していたのは生糸です。
生糸は品質が良かったので、外国が買い占めてしまいます。
その結果、日本国内の生糸が品薄状態になりました。
さらに、日本の大商人が儲けるために、生糸を大量に買い占めました。
買い占めると値段がさらに上がり、上がったときに売れば儲かります。
結果、生糸の値段がより大幅に上がってしまいます。
③ 金の流出
日本から金が大量に流出してしまいます。
理由は、外国と日本と金と銀との交換比率が違うことです。
日本では、「金1と銀5」が交換されています。
外国では、「金1と銀15」が交換されています。
最初は外国銀貨4枚だったのが、最後に外国銀貨12枚になります。
錬金術になっていました。
外国によって日本の金が流出しました。
④ 物価の上昇
日本は、金の流出を防ぐために、小判の金の含有量を減らしました。
徳川綱吉と同じことをしてしまいます。
金の含有量を減らす、小判の価値を下げてしまうと、「物価が上がる」という同じ現象が起きました。
米の値段が6倍になっています。
コンビニの100円のおむすびが「600円」になる。
生活が厳しくなります。
外国に輸出するために物が買い占められるようになったことも物価の上昇の原因です。
生糸の値段だけでなく、様々な物の値段があります。
まとめ
用語確認 一問一答
① 1853年に日本とアメリカで結んだ条約で日本が開国した
② 1858年に日本とアメリカが結び通商をはじめた
③ 開国後の日本の最大の貿易相手国は
④ 開国後の日本の最大の輸出品は
用語確認 一問一答 ~答え~
① 日米和親条約
② 日米修好通商条約
③ イギリス
④ 生糸