さらば鎌倉幕府!鎌倉幕府が滅んだ理由は「借金」と「裏切り」で!?わかりやすく解説

鎌倉時代
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皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。

140年近く続いた最強の武士団、鎌倉幕府。源頼朝が作ったこのシステムが、なぜ最後はボロボロになって滅びてしまったのでしょうか?

「戦いには勝ったのに、なぜか貧乏になった武士たち」

「借金をチャラにする魔法の言葉『徳政令』の罠」

「絶体絶命のピンチから逆転した、バイタリティの塊・後醍醐天皇」

今回は、ドラマよりも面白い鎌倉幕府滅亡の裏側を、受験に出るポイントを凝縮して世界一わかりやすく解説します!

鎌倉幕府が滅んだ理由


1. 「御恩と奉公」のシステム崩壊

鎌倉幕府は「御恩(将軍が土地を認める)」と「奉公(武士が命がけで戦う)」というギブ・アンド・テイクで成り立っていました。

★ 元寇という「割に合わない戦い」

13世紀後半、最強帝国モンゴルが攻めてきました(元寇)。御家人たちは必死に戦い、日本を守り抜きました。しかし、ここで大問題が発生します。

  • 土地が増えない!: 海外からの侵略を防いだだけなので、新しく奪った土地がありません。
  • 報酬ゼロ: 命がけで戦ったのに、将軍から「御恩(新しい土地)」がもらえなかったのです。

もともと北条氏は、将軍の代わりに政治をする「執権(しっけん)」というポジションでした。しかし、元寇(モンゴル襲来)という国家存亡の危機がすべてを変えます。

  • 緊急事態宣言!: 史上最強の軍団モンゴルが攻めてくる。そんな時、のんびり話し合いなんてしていられません。「一人の強いリーダーが爆速で命令を出す」必要がありました。
  • 権力の一極集中: この危機を乗り越えるため、北条氏のトップ(得宗:とくそう)にすべての権限が集まりました。これを「得宗専制(とくそうせんせい)」と言います。

★ 社会人先生のポイント: 「戦争が終わった後も、北条氏が『ずっと俺のターン!』を続けてしまったんだよね。これが他の武士たちの『いつまで威張ってんだよ』という怒りに火をつけたんだ。」


2. 借金まみれの武士たち

御恩がもらえないだけならまだしも、武士たちの生活はさらに苦しくなります。

★ 分割相続(ぶんかつそうぞく)の罠

当時の武士は、子供たち全員に土地を分けてあげる「分割相続」でした。

最初は広い土地を持っていても、何代か経つと「自分でも食べきれないくらい小さな土地」しか残らなくなります。さらに元寇の軍備費は自分たち持ちだったので、武士たちは生活のために商人に借金をするようになります。


3. 「徳政令」という名の自爆政策

「武士たちが借金で苦しんでいる……。よし、借金を全部チャラにしてあげよう!」

幕府が出したのが「永仁の徳政令(1297年)」です。

★ なぜ効果がなかったのか?

一見、武士に優しい政策に見えますが、結果は最悪でした。

  • 信頼の崩壊: 貸した金を返してもらえなくなった商人は「もう武士には絶対にお金を貸さない!」となります。
  • 結果: 武士は新しくお金を借りることができなくなり、かえって生活が立ち行かなくなりました。

4. 北条氏への反発と「悪党」の登場

幕府のトップに立つ北条氏(得宗:とくそう)が、自分たちの身内だけで政治を独占し始めたことで、他の武士たちの怒りは爆発寸前でした。

そこに現れたのが「悪党(あくとう)」と呼ばれる人々です。

※ここがポイント!

現代の「悪いやつ」という意味ではありません。幕府のルールに従わず、力で自分の土地を守る「アウトローで強い武士」たちのことです。

幕府のピンチに、なぜ一番頼りになるはずの足利尊氏(あしかが たかうじ)たちが裏切ったのでしょうか?

それは、「血統(家柄)」のプライドです。

  1. 源氏の血筋: 足利氏は、源頼朝と同じ「源氏(清和源氏)」の名門です。
  2. 北条氏は格下: 実は、北条氏はもともと源氏の「家来」のような家柄。武士たちの本音は「なんで家来の北条が威張ってて、王様の血を引く足利が従わなきゃいけないんだ?」でした。
  3. 限界突破: 土地はくれない、北条は独裁する……。尊氏は「もうこの会社(幕府)はダメだ。俺が源氏の棟梁として、新しい会社を作ってやる!」と決意したのです。

5. 後醍醐天皇:隠岐からのミラクル大逆転

この混乱期に「天皇が中心の政治を取り戻す!」と立ち上がったのが後醍醐天皇です。

  1. 一度は失敗: 幕府にバレて、島根県の隠岐(おき)に流されてしまいます。
  2. 奇跡の脱出: そこで諦めないのが後醍醐天皇。なんと島を脱出して本土に戻り、再び倒幕の旗を掲げます。
  3. 有力御家人の裏切り: 幕府軍のリーダーだった足利尊氏(あしかが たかうじ)が天皇側に寝返り、六波羅探題を攻略。さらに新田義貞(にった よしさだ)が鎌倉に攻め込み、1333年、ついに幕府は滅亡しました。

6.鎌倉幕府滅亡のまとめ表

原因の分類具体的な出来事内容・影響
経済元寇(げんこう)命がけで戦ったのに恩賞(土地)がもらえなかった。
相続分割相続世代交代のたびに土地が細分化し、貧乏になった。
政策徳政令(とくせいれい)借金をチャラにしたが、誰も金を貸さなくなり逆効果。
政治北条氏の独裁一族が権力を独占し、他の御家人の不満が溜まった。
軍事有力者の裏切り足利尊氏・新田義貞が天皇側に寝返り、トドメを刺した。

7.鎌倉幕府の滅亡:一問一答チェック

【問1】鎌倉時代、領地を子供たち全員に均等に分ける相続方法を何といいますか?

【問2】1297年、御家人の困窮を救うために借金を帳消しにした法令を何といいますか?

【問3】鎌倉時代末期、幕府の支配に従わず、各地で反乱を起こした新興の武士たちを何といいますか?

【問4】隠岐に流された後、島を脱出して鎌倉幕府を倒した天皇は誰ですか?

【問5】幕府の有力御家人でありながら、京都の六波羅探題を攻め落とした人物は誰ですか?


8.一問一答チェック

【問1】分割相続

【問2】(永仁の)徳政令

【問3】悪党(あくとう)

【問4】後醍醐天皇

【問5】足利尊氏

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