キリスト教とイスラム世界の関係とは?十字軍・帝国・教会の動きまで中学生向けにわかりやすく解説!

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「カトリックと正教会はどう違うの?」
「十字軍ってなぜ何回も送られたの?」

この記事では、キリスト教とイスラム教を中心に1000年分の世界史をわかりやすく解説。ビザンツ帝国・イスラム帝国・オスマン帝国、そしてエルサレムをめぐる十字軍の歴史を中学生向けに整理します!

キリスト教徒とイスラム世界

1. キリスト教は2つの教会に分かれていた

 キリスト教は2つの宗派に分かれていました

教会名特徴/関係
カトリック教会ローマ教皇がトップ。西ヨーロッパを中心に広がる
正教会ビザンツ帝国(東ヨーロッパ)と結びついていたキリスト教

どちらもキリスト教のグループですが、政治との関係や考え方がちがう点がありました

2. イスラム教の広がり:帝国がつぎつぎ誕生!

帝国名時代特徴・範囲
イスラム帝国622年〜750年東は中国の唐、西はアフリカやヨーロッパにまで拡大
オスマン帝国室町時代の頃〜ガラス・コーヒー・麻酔など、世界トップレベルの技術を持つ

イスラム帝国では、税を納めれば他の宗教を信仰してもよかったため、無理な改宗は行われませんでした

3. 騎士と国王と教皇の関係

ヨーロッパでは騎士が戦い、戦利品や土地で報酬を得ていました
→ 戦えば戦うほどもうかる職業に!

騎士に土地を与える国王は、ローマ教皇に金品などを渡して「権威(国王として認められる力)」を得ていました
鎌倉幕府の「御恩と奉公」に近い関係性

4. ビザンツ帝国が助けを求める → 十字軍が出発!

ビザンツ帝国はキリスト教国。イスラム教のセルジューク朝に攻撃され、ローマ教皇に助けを求めます

⇒ ローマ教皇は「聖地エルサレムを取り返す!」という目的で軍を編成
→ これが「十字軍」です!

約200年間で7回も遠征!

回数結果
第1回一時的にエルサレムを奪回
その後奪い返され、最終的に失敗に終わる
長期的影響教皇の権力は弱まっていくことに…

キーワードまとめ

用語説明
カトリック教会ローマ教皇をトップとするキリスト教の教会。西ヨーロッパ中心
正教会東のビザンツ帝国に結びついたキリスト教の教会
イスラム帝国7世紀に成立。宗教の自由があり、広大な地域を支配
オスマン帝国室町時代頃に登場。技術・芸術ともに世界最高水準のイスラム帝国
十字軍ローマ教皇が聖地エルサレム奪回のために編成した軍隊。計7回出発

確認問題

確認問題(選択式)

  1. カトリック教会のトップは誰?
    A. ビザンツ皇帝 B. ローマ教皇 C. 国王 D. 騎士
  2. 正教会と関係が深いのはどの国?
    A. フランス B. イギリス C. ビザンツ帝国 D. スペイン
  3. イスラム帝国の宗教方針として正しいものは?
    A. 他の宗教は禁止 B. 税を払えば自由 C. 改宗しないと罰 D. キリスト教のみ可
  4. 十字軍の目的として正しいものは?
    A. インドの支配 B. 香辛料貿易 C. 聖地エルサレムの奪回 D. 教皇を守るため
  5. 十字軍の結果として正しいものは?
    A. エルサレムを守り続けた B. 教皇の力が強くなった C. すべて成功した D. 権力が衰えた

✅ 答え(記号+内容)

  1. B:ローマ教皇
  2. C:ビザンツ帝国
  3. B:税を払えば自由
  4. C:聖地エルサレムの奪回
  5. D:権力が衰えた

記述練習問題

  1. カトリック教会と正教会のちがいについて、それぞれの特徴をあげて説明しなさい。
  2. 十字軍が出発することになった理由と、結果的にどうなったかを説明しなさい。
  3. イスラム帝国では、宗教の自由があったとされます。その意味と理由について説明しなさい。

✅ 解答例

1. カトリック教会はローマ教皇がトップで、西ヨーロッパに広がっていました。正教会はビザンツ帝国と結びついて、東ヨーロッパで信仰されていたキリスト教の教会です。

2. ビザンツ帝国がイスラム教のセルジューク朝に圧迫され、ローマ教皇に助けを求めたことで十字軍が出発しました。聖地エルサレムの奪回が目的でしたが、何度も失敗し、最終的に教皇の力が弱まりました。

3. イスラム帝国では税を納めれば宗教の自由が認められていました。これは、さまざまな人々を支配していたため、無理な改宗を避けて安定した統治をするためだったと考えられます。

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