「なぜドイツは東と西に分かれていたの?」
「ベルリンに壁があったって本当?」
そんな疑問を持ったあなたへ。
冷戦時代の象徴ともいえる「ドイツとベルリンの分裂」。
この記事では、戦後の背景から壁の建設、そして崩壊までを中学生にもわかりやすく、ビジュアルが浮かぶような表現で解説します!
ベルリンの壁~建設から崩壊まで~
1. 戦後ドイツ、どうして分裂したの?
第二次世界大戦後、ドイツは敗戦国となり、連合国によって分割統治されることになります。
分担 | 担当国 |
---|---|
西側 | アメリカ・イギリス・フランス(→西ドイツ) |
東側 | ソ連(→東ドイツ) |
当初は「ひとつのドイツ」として再建される予定でしたが、アメリカとソ連の対立=冷戦が深まったことで、それぞれが自分たちの価値観を押しつけ合うようになります。
2. なぜベルリンまで分断?しかも「壁で」?
ベルリンはドイツの首都で、地理的にはソ連が支配する東ドイツの中にありました。
けれど都市全体がさらに4つに分けられたことで、「東ベルリン」と「西ベルリン」が誕生します。
3. 西ベルリンは「東ドイツの中にある西側諸国の島」状態
生活や言論の自由がない東ベルリンから、自由を求めて西ベルリンに逃れる人が増加…!
それを止めるために東ドイツ政府がとった行動が、あの有名な――ベルリンの壁、突如建設!
1961年8月13日未明。
突如として、鉄条網とコンクリート壁によって西ベルリンは完全に囲まれます。
- 自由を求めて逃げようとした人々が銃撃されたり、命を落とす事件も発生
- 西ベルリンは陸路を断たれ、**日用品や食料は空輸(ベルリン空輸)**で届けられました
「壁」はまさに、冷戦を象徴する存在に…。
4. 冷戦の縮図「ベルリン」
陣営 | 政治 | 経済 | 軍事同盟 |
---|---|---|---|
西側(西ドイツ・西ベルリン) | 民主主義 | 資本主義 | NATO |
東側(東ドイツ・東ベルリン) | 共産主義 | 計画経済 | ワルシャワ条約機構 |
市民の自由・生活・思想――すべてが「壁」の内と外で大きく違っていました。
5. 壁の崩壊と統一ドイツの誕生
1989年11月9日
東ドイツ政府が突如、旅行の自由を発表
→ベルリンの壁の通行を「許可」
しかし、これは東ドイツ政府の失言!言い間違えだった!
市民が壁の上によじ登り、ハンマーで壊し、歓喜に包まれる中、ベルリンの壁は崩壊します。
→ 翌1990年10月、ドイツは東西統一を果たしました。
東ベルリンから西ベルリンへ続く道が、再びひとつに!
まとめ
用語 | 意味 |
---|---|
冷戦 | アメリカとソ連が戦争せずに政治・経済で争った状態 |
西ドイツ / 東ドイツ | 第二次大戦後に分断されたドイツ。西=自由、東=共産主義 |
ベルリンの壁 | 東ドイツが西ベルリンを囲った壁。冷戦の象徴 |
ベルリン空輸 | 西ベルリンが囲まれた際、西側が空から物資を届けた作戦 |
統一ドイツ | 1990年、東西ドイツが再び一つの国に戻ったこと |
❓ 単語の確認問題(選択式)
- 冷戦とはどんな争い?
A. 気温の戦争 B. 経済や思想による対立 C. 宗教戦争 D. 地域戦争 - ベルリンの壁が作られた理由は?
A. 建築ブーム B. 東西ドイツの仲直り C. 東から西へ逃げる人が増えたから D. 防衛線を強化するため - ベルリン空輸とは何をした?
A. 食料や物資を飛行機で西ベルリンへ運んだ B. ベルリン観光 C. 軍の派遣 D. 戦車の移動
✅ 単語の確認問題の答え
- B. 経済や思想による対立
- C. 東から西へ逃げる人が増えたから
- A. 食料や物資を飛行機で西ベルリンへ運んだ
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