バスコ・ダ・ガマとは?喜望峰を超えてインドに到達した大航海時代の英雄を解説!

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「インドへ行くために、喜望峰を通った冒険家は誰?」
「バスコ・ダ・ガマって何をした人なの?」

この記事では、大航海時代にヨーロッパからインドへの航路を切り開いたポルトガルの探検家、バスコ・ダ・ガマについて中学生向けにわかりやすく紹介します!授業で扱った「香辛料」や「イスラム教との関係」もふまえて、地図で世界が変わった瞬間を見てみましょう!

バスコ・ダ・ガマ

1. なぜインドへ行きたかったのか?

理由:香辛料(こしょう・シナモンなど)

  • ヨーロッパでは肉料理が中心 → 味つけに必要!
  • 腐った肉のにおい消しに使える
  • 薬としても利用されていた
    → 高価な商品で、貴族や王様もほしがる!

2. 陸路が使えない理由は?

陸地を通るにはイスラム教の国を越える必要があった!

宗教ヨーロッパから見て
オスマン帝国イスラム教十字軍の影響で、通りにくかった
ムガル帝国イスラム教東南アジアとの関係も深かった

キリスト教とイスラム教の対立の影響で、陸路は封じられていた

3. バスコ・ダ・ガマの航海!

国:ポルトガル
航路:ヨーロッパ → 喜望峰(アフリカ南端) → インド

地点意味
喜望峰(アフリカ南端)これを越えればインドに近づける地点
インド到達香辛料の直接入手に成功!
帰国ポルトガルの貿易と地位を大きく高めた

「海の旅に必要なもの」として
→ 食料・水・仲間・技術・羅針盤・地図などがあった
 羅針盤・地図の開発で海に出られる時代 大航海時代のスタート!

キーワードまとめ

用語内容
バスコ・ダ・ガマ喜望峰を通って東回りでインドに到達したポルトガルの探検家
香辛料ヨーロッパで人気だったスパイス。腐りかけの肉にも使えた
喜望峰アフリカの南端。インドへの海のルートの重要ポイント
オスマン帝国イスラム教の大国。キリスト教のヨーロッパと対立していた
大航海時代陸路の制限を海で乗り越え、世界の航路が広がった時代

確認問題

確認問題(選択式)

  1. バスコ・ダ・ガマがたどった航路として正しいのは?
    A. ヨーロッパ → 北極 → アメリカ
    B. ヨーロッパ → 喜望峰 → インド
    C. ヨーロッパ → 南アメリカ → インド
    D. ヨーロッパ → 中東 → インド
  2. 香辛料が人気だった理由に当てはまらないものは?
    A. 味つけになる B. 肉を腐らせる C. においをごまかす D. 薬として使える
  3. バスコ・ダ・ガマの国は?
    A. スペイン B. イギリス C. フランス D. ポルトガル
  4. 陸路でインドに行けなかった理由は?
    A. オスマン帝国やムガル帝国の宗教対立 B. 地図がなかったから
    C. 船がなかったから D. 気候が寒かったから
  5. バスコ・ダ・ガマの航海が成功したことで起きたこととして正しいのは?
    A. ポルトガルがインドの宗教を変えた B. 貿易の中心が日本になった
    C. 香辛料が直接手に入るようになった D. アメリカの発見につながった

✅ 答え(記号+内容)

  1. B:ヨーロッパ → 喜望峰 → インド
  2. B:肉を腐らせる
  3. D:ポルトガル
  4. A:オスマン帝国やムガル帝国の宗教対立
  5. C:香辛料が直接手に入るようになった

記述練習問題

  1. バスコ・ダ・ガマがインドへ向かうために選んだ航路と、その理由を説明しなさい。
  2. なぜ陸路ではインドに行けなかったのか、宗教や歴史の関係から説明しなさい。
  3. バスコ・ダ・ガマの航海がポルトガルにどんな影響を与えたか、あなたの言葉で書きなさい。

✅ 解答例

1. バスコ・ダ・ガマはヨーロッパからアフリカの南端「喜望峰」を通ってインドへ向かう航路を選びました。陸地を通るよりも宗教の対立を避けられ、海なら通りやすかったからです。

2. 当時の陸路にはイスラム教のオスマン帝国やムガル帝国があり、キリスト教との対立でヨーロッパの人が通るのがむずかしかった。そのため、安全に香辛料を手に入れるには海から行くしかなかった。

3. バスコ・ダ・ガマの航海が成功したことで、ポルトガルは香辛料を直接手に入れることができ、貿易で大きな利益を得ました。その結果、ポルトガルは世界で重要な国の一つになったと思います。

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