戦後の世界を大きく動かした「ヤルタ会談」。
そこから冷戦が始まり、「ベルリンの壁」が建てられ、そして崩れた…。
この記事では、ヤルタ会談からマルタ会談までの歴史の流れを、冷戦の始まりと終わりを中心にやさしく解説します!
ヤルタ会談からマルタ会談まで
1. 1945年:ヤルタ会談 ― 戦後のルールを話し合う
- 第二次世界大戦が終わる直前、アメリカ・イギリス・ソ連の3か国首脳がヤルタに集まりました。
会談名 | 代表者 | 内容 |
---|---|---|
ヤルタ会談 | ルーズベルト(米)・チャーチル(英)・スターリン(ソ) | ドイツの分割統治、国際連合の設立、ソ連の対日参戦などを決定 |
→ この会談の後、ドイツは東西に分割され、冷戦の火種が生まれました。
2. 1947年〜 冷戦のはじまり
ヤルタ会談からわずか2年後、アメリカとソ連の関係は一気に悪化。
- アメリカ=資本主義・自由な社会
- ソ連=共産主義・計画経済
→ 世界は二つの陣営に分かれます
冷戦のなかで起きたこと:
- 朝鮮戦争(1950)
- キューバ危機(1962)
- ベトナム戦争(1960年代〜)
→ これらは**「代理戦争」**とも呼ばれます
3. 1961年:ベルリンの壁が建設される
戦後、ドイツだけでなく首都ベルリンも東西に分けられました。
- 西ベルリン:アメリカ側(自由)
- 東ベルリン:ソ連側(共産)
→ 東ベルリンから逃げ出す人が増えたため、東ドイツは西ベルリンをぐるっと囲む壁を建設!
- 西側では子どもが遊ぶ姿
- 東側では銃を構えた兵士が監視
「ベルリンの壁」はまさに冷戦の象徴でした。
4. 1985年:ソ連にゴルバチョフ登場 ― 改革の始まり
- ソ連の経済は停滞、国内の不満も増加
→ ゴルバチョフは「ペレストロイカ(経済改革)」「グラスノスチ(情報公開)」を実施!
改革のつもりが逆に独立運動が拡大していきます。
5. 1989年:ベルリンの壁が崩壊!
- 東ドイツが「出国の自由を認める」と発表
→ 市民が壁を越え、壁を壊しはじめる!
冷戦の象徴だった壁が崩れたことで、世界中に衝撃が走りました
6. 1989年:マルタ会談 ― 冷戦の終結!
会談名 | 代表者 | 内容 |
---|---|---|
マルタ会談 | ブッシュ(米)・ゴルバチョフ(ソ) | 冷戦の終結を宣言! |
→ 約45年続いた冷戦に、ようやく終わりが訪れました。
まとめ
用語 | 解説 |
---|---|
ヤルタ会談 | 1945年、戦後のルールを決めた3か国の会談 |
冷戦 | アメリカとソ連の対立。直接戦わないが緊張状態が続いた |
ベルリンの壁 | 東西ベルリンを分断した壁。冷戦の象徴(1961〜1989) |
ペレストロイカ | ゴルバチョフの経済改革政策 |
マルタ会談 | 1989年、アメリカとソ連が冷戦終結を宣言した会談 |
❓ 単語の確認問題(選択式)
- ヤルタ会談で話し合われた内容として正しいものは?
A. 日本の分割 B. ドイツの分割統治 C. EUの設立 D. NATOの結成 - 冷戦の象徴とされたものは?
A. パナマ運河 B. 万里の長城 C. ベルリンの壁 D. ニューヨーク証券取引所 - ゴルバチョフが進めた情報公開政策は?
A. ペレストロイカ B. グラスノスチ C. サミット D. アパルトヘイト - ベルリンの壁が崩壊したのはいつ?
A. 1985年 B. 1987年 C. 1989年 D. 1991年 - マルタ会談で行われたことは?
A. NATOの拡大 B. 冷戦の終結宣言 C. 核兵器の使用 D. ソ連の解体
✅ 単語の確認問題の答え
- B. ドイツの分割統治
- C.ベルリンの壁
- B. グラスノスチ
- C. 1989年
- B. 冷戦の終結宣言
✍️ 用語練習問題(記述式)
- ヤルタ会談とはどのような会談か説明しなさい
- ベルリンの壁はなぜ建てられ、どのように崩壊したか説明しなさい
- 冷戦とはどのような対立状態か説明しなさい
- ゴルバチョフが行った改革の名前と内容を1つ答えなさい
- ヤルタ会談からマルタ会談までの流れを簡単にまとめなさい
✅ 用語練習問題の解答例
- 第二次世界大戦後の処理について、アメリカ・イギリス・ソ連の3か国が話し合った会談
- 東ドイツから西へ逃げる人々を止めるために建てられた。1989年、出国の自由が認められて崩壊した
- アメリカとソ連を中心に、直接戦わずに対立を続けた状態
- ペレストロイカ。ソ連で経済の自由化を進める改革だった
- 1945年のヤルタ会談で冷戦のきっかけが生まれ、1961年にベルリンの壁が建てられた。ゴルバチョフの改革を経て1989年に壁が崩壊し、マルタ会談で冷戦が終結した
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