井上馨と「鹿鳴館」〜ダンスで条約改正?〜

歴史
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皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。

明治時代、日本が「一等国」を目指して必死だった頃、ある一風変わった作戦が行われました。それが、外務大臣の井上馨(いのうえかおる)による**欧化政策(おうかせいさく)**です。

「外国人のフリをすれば、仲間に入れてもらえるかも?」

そんな、ちょっと切なくも必死だった時代の舞台裏を、中学生の皆さんにわかりやすく解説します!

欧化政策


1. 欧化政策ってなに?「見た目」から変える大作戦

明治政府の最大の目標は、幕末に結ばされた「不平等条約」を改正することでした。

しかし、欧米諸国からは「日本は法律もマナーも遅れているから、まだ対等には扱えないね」とバカにされていたのです。

そこで井上馨は考えました。

「よし、見た目も生活も欧米ソックリにして、『日本は文明国だ!』と認めさせよう」

これが欧化政策です。生活スタイルをまるごと西洋風に変えることで、条約改正の交渉を有利に進めようとしたのです。

(井上馨 出典:Wikipedia

2. 伝説のダンスパーティー会場「鹿鳴館(ろくめいかん)」

(鹿鳴館での舞踏会の様子 出典:Wikipedia

欧化政策のシンボルとなったのが、東京に建てられた豪華な洋館、鹿鳴館です。

  • 何をしたの?:日本の高官やその奥さんたちが、慣れないドレスやタキシードを着て、夜な夜な外国人とダンスパーティーを開きました。
  • 狙いは?:西洋のマナーを完璧にこなし、「私たちはあなたたちと同じ『一等国』の仲間ですよ」とアピールすることでした。

しかし、これを見た当時の人々や外国人の中には、「まるで猿真似だ」と冷ややかに見る人もいたといいます。


3. 「猿まね」とバカにされた悲しい現実

鹿鳴館にかんする風刺画(wikibooks

必死にドレスを着てダンスを踊る日本人たち。しかし、その光景をみた外国人たちの反応は、井上が期待したような「尊敬」ではありませんでした。

  • 「猿まね」という評価:急に西洋の服を着て踊る日本人を見て、一部の外国人からは「まるで猿が人間の真似をしているようだ」と冷ややかに笑われてしまいました。
  • 国民からの反発:日本の伝統を捨ててまで外国にへつらう姿に、国内の武士や農民たちからも「情けない」「屈辱的だ」という批判が殺到したのです。

見た目だけを欧米風にしても、心の中や国の実力(法律など)が伴っていなければ、本当の意味で認められることはありませんでした。


4. ついに中止へ…「ノルマントン号事件」の衝撃

井上の努力が完全に行き詰まった決定的な理由、それが1886年に起きたノルマントン号事件です(社会科通信No.66参照)。

イギリス船が沈没した際、日本人乗客だけが見捨てられたのに、不平等条約(領事裁判権)のせいで犯人のイギリス人船長が軽い罰で済んでしまったこの事件。国民の怒りは頂点に達しました。

「ダンスなんて踊っている場合か!見た目を取り繕うより、まずはこの不公平な裁判権をどうにかしろ!」

「外国人の顔色をうかがうだけの弱気な外交」への激しいバッシングが起き、井上馨は外務大臣を辞めることになりました。こうして欧化政策による条約改正は幕を閉じたのです。


5. 基礎用語の確認問題(5問)

【問1】 条約改正のために、生活や風習を西洋風に変えようとした政策を何といいますか。

【問2】 欧化政策を進め、外国との交渉にあたった当時の外務大臣は誰ですか。

【問3】 欧化政策の象徴として、ダンスパーティーなどが開かれた建物を何といいますか。

【問4】 日本が目指していた、軍事力を持ち植民地を支配する強国のことを当時何と呼びましたか。

【問5】 井上馨の政策が批判されるきっかけとなった、イギリス船による日本人見殺し事件は何ですか。


6. 基礎用語の確認問題の答え

【問1】 欧化政策

【問2】 井上馨

【問3】 鹿鳴館

【問4】 一等国(列強)

【問5】 ノルマントン号事件


7. 高校入試に出る記述問題

【問題】 井上馨が進めた欧化政策は、なぜ国民から激しい批判を浴びたのですか。「ノルマントン号事件」という言葉を使って説明しなさい。


8. 答え

ノルマントン号事件で不平等条約の弊害が明らかになったことで、見た目を取り繕う欧化政策よりも、条約改正そのものを優先すべきだという声が高まったから。

9. まとめ

  1. 外務大臣の井上馨は、条約改正のために西洋風ের生活を取り入れる欧化政策を行った
  2. 鹿鳴館で連日パーティーを開いたが、外国人からは「猿まね」と軽蔑されることもあった
  3. 中身(実力)を伴わない表面的な近代化は、国内外から大きな反発を招いた
  4. ノルマントン号事件によって不平等な裁判の現実を突きつけられ、政策は挫折した
  5. 日本が一等国として認められるには、ダンスではなく法律や軍事力が必要だと痛感させられた
  6. この失敗があったからこそ、後の陸奥宗光たちは「対等な力」を背景にしたタフな交渉へ舵を切った

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