1941年
真珠湾攻撃により始まった太平洋戦争――日本とアメリカの戦いは、次第に世界を巻き込み大戦の舞台を広げていきます。
本記事では、日本がなぜ戦争に突き進んだのか、南進政策や日ソ中立条約、そして初期の勝利からミッドウェー海戦での敗北までの流れをわかりやすく解説します。
太平洋戦争
なぜ東南アジアへ?日本の南進政策
日本は1940年から東南アジアへの進出(南進)を開始します。
その理由は2つ。
- 援蒋ルートを断ち切る
→ イギリスやアメリカが蒋介石(中国国民党)を支援するルートを遮断するため - 石油やゴムなどの資源を得るため
→ 日本はアジアでの資源確保を急いでいました
北を安全にするための日ソ中立条約
東南アジアへ南進する際、北の安全確保が必要でした。
→ 1941年、日本はソ連と「日ソ中立条約」を結びます
→ お互いに攻めないという約束をして、安心して南へ進める体制を整えました
スローガンは「大東亜共栄圏」
日本はアジア各国に対し、
「欧米の植民地から解放し、アジアの民族で繁栄しよう!」
と呼びかけ、「大東亜共栄圏」というスローガンを掲げます。
実際に戦った人々の中には「アジアの独立のために戦っている」と考えていた人もいました。
1941年12月8日、真珠湾攻撃で開戦!
1941年に二つの場所を攻撃します。
まずはイギリス領のマレー半島です。
さらに、アメリカのハワイの真珠湾を攻撃します。
太平洋戦争が始まります!
→ アメリカが参戦し、第二次世界大戦の戦局が一気に広がります
→ 日本はすでにドイツ・イタリアと日独伊三国同盟を結んでいたため、枢軸国側として戦います
日本の連戦連勝!しかし…
開戦直後、日本は東南アジアを次々と制圧し連戦連勝!
しかし、転機が訪れます。
ミッドウェー海戦での大敗
1942年、ミッドウェー海戦で日本は壊滅的な敗北を喫します。
- 空母4隻を失う(真珠湾攻撃でも使われた主力)
- 戦闘機を搭載する空母を失うことで、遠距離作戦の力が大きく低下
- 死者は3057人、多くの優秀なパイロットが戦死
→ この敗北を境に、日本はジリ貧(少しずつ劣勢になる状態)に入っていきます。
まとめ
用語 | 内容 |
---|---|
南進政策 | 東南アジアへ武力進出し資源と援蒋ルート遮断を狙う政策 |
日ソ中立条約 | ソ連と結んだ、お互いに攻めない約束の条約 |
大東亜共栄圏 | 欧米支配を排除し、アジア民族の連携を目指すスローガン |
真珠湾攻撃 | 1941年12月8日、日本がアメリカ・ハワイを奇襲攻撃した |
ミッドウェー海戦 | 日本が連戦連勝後に初めて大敗した海戦。空母4隻を失う |
確認問題
単語の確認問題(選択式)
- 日本が東南アジアに進出した目的の一つは?
A. 観光地開発 B. 暖かい気候の確保 C. 資源獲得と援蒋ルート遮断 D. 宗教の普及 - 日ソ中立条約の目的として正しいものは?
A. 東南アジアとの同盟 B. 北の安全確保 C. 南進の中止 D. 軍事協力の強化 - 大東亜共栄圏のスローガンは何を目的としていた?
A. ヨーロッパ旅行の促進 B. アジア支配の正当化 C. 欧米支配からの独立 D. 宗教統一 - 太平洋戦争の開戦日は?
A. 1939年9月1日 B. 1941年12月8日 C. 1945年8月15日 D. 1940年5月10日 - ミッドウェー海戦で日本が失った主な戦力は?
A. 駆逐艦 B. 潜水艦 C. 空母 D. 戦車部隊
✅ 単語の確認問題の答え
- 資源獲得と援蒋ルート遮断
- 北の安全確保
- 欧米支配からの独立
- 1941年12月8日
- 空母
✍️ 用語練習問題(記述式)
- 南進政策
- 援蒋ルート
- 日ソ中立条約
- 真珠湾攻撃
- ミッドウェー海戦
✅ 用語練習問題の答え
- 日本が東南アジアへ進出し資源獲得や支援遮断を狙った政策
- アメリカ・イギリスが蒋介石を援助する中国支援ルート
- 1941年、日本とソ連が攻め合わないと約束した条約
- 1941年12月、日本がアメリカの真珠湾を奇襲した攻撃。太平洋戦争の始まり
- 日本が空母4隻を失い、戦局が逆転した1942年の海戦
コメント