平清盛

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平清盛

 1156年

 天皇家や貴族、平氏、源氏を巻き込んだ戦乱が起こります。

 「保元の乱」です。

 勝った側の「後白河天皇」、「藤原忠道」、「平清盛」、「源義朝」が力を持つようになります。

 保元の乱を受けて

 1159年

 武士のトップ争いが行われました。

 「平治の乱」です。

 源氏と平氏、どちらが武士のトップ化を争いました。

 結果、平氏が勝ち、武士の世界の中だけでなく、朝廷の中でも力をつけていきました。

 保元の乱と平治の乱、ややこしいので、キーワードで覚えておきましょう。

 保元の乱は「天皇家の争いに貴族、武士のお家争いが混ざった」ものです。

 一方、

 平治の乱は「源氏と平氏で武士のトップをめぐる争い」です。

 平治の乱に勝った平清盛は、武士で初めて貴族のトップである「太政大臣」に就任しました。

 日本で初めての武士の政権が誕生しました。

平清盛の政治

 平清盛が行った政治です。

① 娘を天皇の后(きさき)にして政治を支配

② お金もいる。兵庫に港を開き、がっぽりもうけよう

➂ 平氏でなければ人ではない」、と言う

④ 全国の支配地は50か国だが、そのうちの28か国も支配

⑤ 藤原氏や寺や神社が持っていたのと同じく、多くの荘園を手に入れた

⑥ 後白河上皇の院政を停止させる

➀~➅のどれが武士の反感をかったでしょうか?

私は③が圧倒的に腹が立ちます。

実際は、➀~➅どれも武士の反感を買う政策です。

しかし、「平氏でなければ人ではない」は人格否定ですね。

こういったことを行い、武士の信頼を失った平氏は、源氏に滅ぼされてしまいます。

平清盛は実はいい人?

 平清盛は下のようなこともしています。

① 700年続く武士の政治の基礎をつくった

② 現在の神戸の港の整備

③ 世界遺産の厳島神社の建設(航海の安全を願うため)

④ 音戸の瀬戸の工事(航海の安全性を確保)

⑤ 人柱の廃止(人命を大切にする)

⑥ 家族を高い地位につける⇒家族を大事にする

 現在に残る世界遺産を作った

 人命を大切にする人だった

 実は平清盛は良い人だったのかもしれません。

 歴史は勝者がつくります。勝った源氏が平清盛のことを悪く言ったのかもしれません。

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