1945年
長く続いた戦争の終止符がようやく打たれます。
原子爆弾の投下、ポツダム宣言、日本の無条件降伏…。
この記事では、広島・長崎の原爆から終戦に至るまでの流れ、原爆が落とされた理由、そして世界に与えた衝撃までを、やさしく解説します。
日本の終戦
原子爆弾が落とされた2つの都市
- 1945年8月6日 午前8時15分:広島(ウラン型原爆)
- 1945年8月9日 午前11時2分:長崎(プルトニウム型原爆)
- 投下したのはアメリカ
当時のアメリカ大統領トルーマンは次のように述べています:
「原爆の使用によって戦争が早く終わり、多くの命を救えた」
アメリカ国内でも、原爆投下を支持する声が多数でした。
なぜ広島と長崎だったのか?
原爆開発者オッペンハイマーの言葉によると、
- 「爆風と火災の効果を正確に測るため、木造住宅が密集し、空襲されていない都市が適している」
→ その条件に広島・長崎が合致していた
→ さらに、原爆の型が異なる(ウラン型・プルトニウム型)ため、威力比較の意味も含まれていたとされます
ポツダム宣言と原爆の順番
- 7月26日:アメリカ・イギリス・中国が日本に対し、無条件降伏を求める「ポツダム宣言」を発表
- 7月24日:実は、この2日前に原爆投下の命令が出ていた
→ 「先に原爆使用を決めていた」この事実に対しては、今日でも多くの議論が続いています。
アメリカ戦略爆撃調査団の報告
「もし原爆やソ連の参戦がなかったとしても、日本は1945年12月31日までには降伏していた可能性が高い」
→ 戦後、このような報告も出されました
終戦までの流れを年表で整理
年月 | 出来事 |
---|---|
1941年12月 | 真珠湾攻撃 → 太平洋戦争開戦 |
1942年6月 | ミッドウェー海戦 → 日本敗北 |
1943年2月 | ガダルカナル島撤退 → 劣勢続く |
1944年7月 | サイパン島陥落 → 米軍が本土射程圏に |
1944年~ | 本土空襲が激化 |
1945年3月 | 東京大空襲 → 約8万人が犠牲 |
1945年3月~ | 沖縄戦開始 → 地上戦で多数の犠牲者 |
1945年8月6日 | 広島に原爆投下 |
1945年8月9日 | 長崎に原爆投下 |
1945年8月15日 | 日本がポツダム宣言を受諾、終戦 |
まとめ
用語 | 解説 |
---|---|
原子爆弾 | アメリカが投下した強力な爆弾。広島と長崎に使用された |
ポツダム宣言 | 日本に無条件降伏を求めた宣言(1945年7月26日) |
終戦の日 | 1945年8月15日、日本が降伏し戦争が終結した日 |
確認問題
単語の確認問題(選択式)
- 原爆が広島に投下された日時は?
A. 8月6日 午前8時15分 B. 8月9日 午前11時2分
C. 8月15日 正午 D. 7月26日 午前9時 - 長崎に投下された原爆の種類は?
A. ウラン型 B. 水素型 C. プルトニウム型 D. 中性子型 - 原爆使用を命令したアメリカ大統領は?
A. ルーズベルト B. トルーマン C. ケネディ D. ウィルソン - 日本が無条件降伏を受け入れた日は?
A. 8月6日 B. 8月9日 C. 8月15日 D. 9月2日 - 原爆投下の科学的意図として、開発者が重視した条件に合う都市の特徴は?
A. 山に囲まれた都市 B. 一度も空襲されていない都市 C. 火山の近く D. 地下資源が豊富な都市
✅ 単語の確認問題の答え
- 8月6日 午前8時15分
- プルトニウム型
- トルーマン
- 8月15日
- 一度も空襲されていない都市
✍️ 用語練習問題(記述式)
- 原子爆弾(広島・長崎)
- ポツダム宣言
- 終戦の日
✅ 単語の確認問題の答え
- アメリカが投下した兵器。広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型が使われた
- 日本に無条件降伏を求めた宣言。1945年7月26日に発表された
- 1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受け入れ、戦争が終結した日
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