昭和初期の外交の困難とは?張作霖爆殺事件とロンドン軍縮条約から見る政党政治の限界

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 昭和恐慌の渦中

 日本の政党政治は経済面だけでなく外交面でも大きな壁にぶつかっていました。

 満州での事件、中国との緊張、そしてロンドン海軍軍縮条約をめぐる衝突。

 この記事では、「張作霖爆殺事件」「排日運動」「浜口雄幸の暗殺」など、日本の外交の困難と政党政治の行き詰まりの背景を、やさしく解説します。

昭和初期の外交の困難

戦国時代のような中国情勢

 昭和初期

 当時の中国は安定しておらず、各地の軍閥が権力を握っていました。

  • 中国国民党の蒋介石(しょうかいせき)が「中国を中国人の手で統一する!」と北へ進軍
    → これを
    北伐(ほくばつ)といいます。

 北伐の途中、日本人の店舗が被害を受ける事件が起き、警戒を強めたのが中国北部の軍閥張作霖(ちょうさくりん)です。

張作霖爆殺事件——日本の軍隊が独断で…

 満州に戻る途中の列車上で、張作霖は爆殺されます。

 爆破を行ったのは、なんと日本の関東軍

 関東軍とは?
→ 満州を拠点に活動していた日本陸軍の部隊。名前に「関東」とあるけれど、関東地方とは無関係です。

 この事件によって、張作霖の息子・張学良(ちょうがくりょう)は激怒。

 父を殺した日本ではなく、蒋介石の中国国民党側に味方するようになります。

排日運動が激化

 日本はすでに山東省や遼東半島など一部地域の支配権を持っていました。

 しかし、張作霖爆殺事件の後、中国国内で反日感情が高まり、排日運動が広がります。

  • 日本人に対する暴行・殺傷事件も起き始める
  • 「せっかく合法的に支配していた地域なのに…」という状況に、日本国内でも動揺が走ります

ロンドン海軍軍縮条約と政党への反発

 経済不況の中で、「軍事費を減らして国民の生活を守ろう」と考えたのが首相浜口雄幸(はまぐちおさち)

  • 軍艦の保有数を制限するロンドン海軍軍縮条約に調印
  • 「昭和恐慌の中だから、軍事より生活だ!」という方針だったのです

 しかし一部の軍人や国家主義者(国家を最も大事で、権力によって人々の生活を制限した方が良いという主張)たちはこう主張します

「天皇の命令なしに勝手に条約に調印するとは何事だ!」

➡ 浜口首相は東京駅で狙撃され、重傷に。のちに死亡します。
➡ 政党政治に対する信頼も揺らいでいきました。

まとめ

用語解説
張作霖爆殺事件日本の関東軍が中国軍閥の張作霖を爆殺した事件
関東軍満州に駐在していた日本陸軍の部隊
ロンドン海軍軍縮条約軍艦の保有を制限した国際条約
浜口雄幸条約に署名し、のちに暗殺された政党内閣の首相

確認問題

単語の確認問題(選択式)

  1. 蒋介石が行った中国統一に向けた戦いを何という?
    A. 南征 B. 北伐 C. 中央戦争 D. 漢民族運動
  2. 張作霖を爆殺したのはどこの組織?
    A. 中国国民党 B. 日本海軍 C. 関東軍 D. 満州族兵団
  3. 関東軍とは何の軍隊?
    A. 中国軍 B. 韓国軍 C. 日本陸軍 D. 満州国軍
  4. 軍事費削減のため、日本が参加した国際条約は?
    A. ワシントン条約 B. ロンドン海軍軍縮条約 C. パリ条約 D. 南京協定
  5. 浜口雄幸が暗殺された主な原因は?
    A. 選挙違反 B. 増税政策 C. 条約調印への反発 D. 財閥との癒着

✅ 単語の確認問題の答え

  1. 北伐
  2. 関東軍
  3. 日本陸軍
  4. ロンドン海軍軍縮条約
  5. 条約調印への反発

✍️ 用語練習問題(記述式)

  1. 張作霖爆殺事件
  2. 関東軍
  3. ロンドン海軍軍縮条約

✅ 用語練習問題の答え

  1. 日本の関東軍が中国軍閥の張作霖を暗殺した事件(1928年)
  2. 日本の満州を拠点とした陸軍部隊。独断行動が多かった
  3. 軍事費削減を目的とした軍艦制限の国際条約(1930年)

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