朝鮮半島の独立運動と三・一独立運動を世界一わかりやすく解説!

世界史
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皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史と社会の仕組みを学んでいきましょう。

前回の「アジアの独立運動」の記事で、「民族自決(みんぞくじけつ)」という言葉が世界中に勇気を与えたお話をしましたね。 「自分たちの国のことは、自分たちの民族で決めようぜ!」という熱いスローガンです。

この言葉に一番に反応し、日本の統治に対して「独立」を叫んだのが朝鮮半島の人々でした。 今回のテーマは、1919年に起きた「三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)」です。

「日本が道路も学校も作って街を綺麗にしたのに、なぜ人々は怒ったの?」 その裏側に隠された、人間の「プライド」と「自由」を求めるドラマを、世界一わかりやすく解説します!

三・一独立運動


1. 第一次世界大戦中の朝鮮:綺麗になった街と、冷え切った心

1910年の「韓国併合」以来、日本は朝鮮半島の統治を進めていました。特に第一次世界大戦中、街の様子は劇的に変わりました。

  • インフラの整備: 鉄道が敷かれ、電気や水道が通り、ソウル(当時は京城:けいじょう)には近代的なビルが立ち並びました。
  • 見た目の変化: 泥だらけだった道が舗装され、不衛生だった環境も改善されました。

しかし、朝鮮の人々の心は晴れませんでした。 なぜなら、「便利にはなったけれど、それは日本が決めたこと。自分たちの意見は無視されている」と感じていたからです。


2. きっかけは最高学府!「京城帝国大学」と自由の思想

日本は朝鮮を近代化させるため、教育にも力を入れました。その象徴が京城帝国大学です。

  • 日本で6番目の帝国大学: 現在のソウル大学校の前身です。ここでは当時の東京帝国大学に負けないほど高いレベルの教育が行われました。
  • 思わぬ誤算: 日本は「優秀な人材を育てよう」と考えましたが、そこで学んだ学生たちは、西洋の「自由」や「平等」という思想を深く学ぶことになります。

「自分たちが学んでいるこの『自由』。なぜ自分たちの国にはないんだ?」 こうして、日本が与えた高度な教育が、皮肉にも日本に対する抵抗の火種(自覚)となったのです。


3. 「マンセー!」の叫びが全国へ:三・一独立運動(1919年)

1919年、第一次世界大戦が終わると、アメリカのウィルソン大統領が唱えた「民族自決(みんぞくじけつ)」の考えが世界を駆け巡りました。

  • 1919年3月1日: ソウルのパゴダ公園で独立宣言が読み上げられました。
  • 独立の叫び: 「朝鮮独立万歳(独立マンセー)!」と叫ぶデモは、学生や知識人から農民、子供まで、瞬く間に全国へ広がりました。

4. 日本の統治方針の変化:アメとムチ

三・一独立運動を受けて、日本(朝鮮総督府)は統治のやり方を大きく変えざるを得なくなりました。 受験生はここをスクリーンショットして覚えてください!

武断政治(ムチ:1919年まで) 文化政治(アメ:1919年から)
厳しい抑え込み:警察や軍隊(憲兵)が力で支配する。 文化の尊重:朝鮮の伝統や習慣をある程度認める。
自由の制限:集会や言論が厳しく制限される。 言論の緩和:朝鮮語の新聞の発行などを許可する。
日本式の押し付け:教育も日本式を強引に進める。 教育の拡充:学校を増やし、不満を和らげようとする。

5. 独立への願いは消えない

日本は「文化政治」によって不満を和らげようとしましたが、朝鮮の人々の「自分たちの力で立ちたい」という願いが消えることはありませんでした。

  • 国外での動き: 上海に大韓民国臨時政府が作られるなど、独立に向けた組織的な動きが加速しました。
  • 思想の広がり: ロシア革命の影響も受け、社会主義の考え方を取り入れた運動も活発になっていきます。

6. 三・一独立運動が世界に与えた影響

この運動は、お隣の中国で起きる「五・四運動」にも大きな勇気を与えました。 「朝鮮の人々がこれほど頑張っているんだ、俺たちも黙っていられない!」 アジア各地で、支配に立ち向かうエネルギーが繋がっていったのです。


7. 基礎用語の確認!一問一答

【問1】 1910年、日本が朝鮮半島を完全に領土化した出来事を何といいますか?

【問2】 日本がソウル(京城)に設立し、近代的な自由思想が広まるきっかけの一つにもなった最高学府の大学は何ですか?

【問3】 1919年3月1日、ソウルから始まり全国に広がった大規模な独立運動を何といいますか?

【問4】 三・一独立運動の際に、人々が独立を願って叫んだ言葉(万歳)を何といいますか?

【問5】 三・一独立運動までの、憲兵や警察などの武力を使って厳しく抑え込む統治の仕方を何といいますか?

【問6】 三・一独立運動の後、朝鮮の伝統や文化をある程度尊重するように変化した統治の仕方を何といいますか?


8. 一問一答・答え

【問1】 韓国併合

【問2】 京城帝国大学

【問3】 三・一独立運動

【問4】 マンセー

【問5】 武断政治

【問6】 文化政治


9. 入試・定期テストに出やすい記述問題と答え

【問題】 日本による統治で朝鮮半島のインフラや教育環境は整備されましたが、なぜ大規模な独立運動が起きたのですか。人々の「自覚」という言葉を使って説明しなさい。

【答え】 日本が設立した大学などで近代的な教育を受ける中で、西洋の自由や平等の思想が広まり、自分たちが他民族に支配されているという事実に自覚を持つようになったから。


10. まとめ

  1. 日本はインフラを整えたが、朝鮮の人々は「自分たちの国の主権」がないことに苦しんでいた!
  2. 京城帝国大学などの高度な教育が、皮肉にも「自由」への目覚め(自覚)を生んだ!
  3. 1919年3月1日、三・一独立運動が起き、全国に「マンセー!」の叫びが響いた!
  4. 日本は統治方針を武断政治から文化政治へと変えざるを得なくなった!
  5. この運動は、中国の五・四運動など、アジア各地の独立運動に大きな影響を与えた!


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