20世紀初頭、列強国が激突した第一次世界大戦
なぜこの戦争は起こり、どのような影響を世界にもたらしたのか?
本記事では、アメリカの参戦やベルサイユ条約、国際連盟の誕生、ワイマール憲法の制定までをわかりやすく解説します。
学校の授業では語られない視点や、現代とのつながりも紹介。
小学生から大人まで、誰もが理解できる内容で、歴史を「読む」から「感じる」へ。
世界大戦の本質に、一緒に迫ってみましょう。
1914年~1919年
第一次世界大戦があった
1919年からの世界のキーワード
「国際強調」
ベルサイユ条約とは
国際連盟とは
ワシントン会議とは
わかりやすく、簡単に説明していきます。
キーワード
・ベルサイユ条約・国際連盟・ワシントン会議
第一次世界大戦後の「国際協調」
アメリカの参戦と戦局の転換
第一次世界大戦で戦局を変えたのは、アメリカの参戦でした。
ドイツの潜水艦がイギリスの豪華客船を沈め、その中に乗っていたアメリカ人144人の犠牲により、アメリカはついに参戦を決意します。
その結果、連合国(協商国)が勝利し、同盟国が敗北しました。
ベルサイユ条約とドイツ
戦後、講和会議がフランスのパリで開催され、「ベルサイユ条約」が結ばれました。
ベルサイユ条約の主な内容:
- フランスに石炭・鉄鉱石の産地を譲渡
- ドイツは領土の6分の1を他国に譲る
- ドイツは植民地をすべて失う
- 陸軍・海軍を大幅に制限
- 賠償金1320億金貨マルクの支払い
賠償金は当時の国家予算の25倍。現在の日本で例えると「2500兆円」に相当します。
困ったドイツは賠償金を返すため、お金を大量に印刷。
結果、超ハイパーインフレが発生します。
- パンの値段は25億倍に
- 100円のおにぎりが、2,500億円しないと買えなくなるレベル
- 子どもがお札で遊ぶようになるほどの紙幣の氾濫
「キャッシュレス時代でよかった…?」と考えてしまいます。
国際協調とその限界
戦後のキーワードは「国際協調」です。
イギリス・フランスは自国の利益を優先したのに対し、アメリカのウィルソン大統領は「国際協調」の重要性を唱えました。
アメリカのウィルソン大統領の提案で「国際連盟」が誕生します。
しかし、矛盾が発生します。
国際連盟には言い出しっぺのアメリカ自身が参加しない
議会の反対により不参加となり、アメリカ・ソ連・敗戦国が不在の国際組織となってしまいます。
民族自決と独立の波
ウィルソン大統領は「民族自決」を提唱し、ヨーロッパで10か国が独立を果たします。
しかし、植民地を持つ列強は他地域での自決を認めず、この理念はヨーロッパに限られる結果に。
ワシントン会議と日本の立場
国際協調の動きの中で、軍縮を目的としたワシントン会議が開催。
その結果:
- 海軍力の縮小
- 日英同盟の破棄
- 日本が持っていた山東省の利権を中国に返還
日本にとっては不利な内容。アメリカの狙いは日本の勢力抑制でした。
ワイマール憲法:ドイツ民主化の光
敗戦国ドイツでは「ワイマール憲法」が制定されました。
当時、最も民主的な憲法とされました。
内容の例:
- 国民主権
- 労働組合結成の自由
- 満20歳以上の男女の普通選挙権
- 「生存権」が初めて明記された憲法としても重要
あなたなら何点つけますか?
第一次世界大戦後の国際社会は、「国際協調」と理想を掲げながらも、各国の利害や矛盾が交錯していました。
ベルサイユ条約・民族自決・国際連盟・ワシントン会議・ワイマール憲法をふまえて、
あなたはこの時代の対応をどう評価しますか?
「100点満点中( )点 理由は~~~」 という形で、あなたの見解をぜひ考えてみてください!
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