「下剋上ってマンガだけじゃないの?」
「戦国時代ってどうやって始まったの?」
この記事では、応仁の乱をきっかけに始まった戦国時代と、登場する戦国大名について、中学生にもわかりやすく紹介します。
キーワード「下剋上」「分国法」「城下町」の意味と活用、実際の一揆や法制度を使って、戦国時代のしくみと流れをしっかり理解しましょう!
応仁の乱
1. 応仁の乱とは?なぜ始まったの?
応仁の乱(1467年〜)
→ 京都を中心に11年も続いた戦乱!
原因は「跡継ぎ争い」+「守護大名の権力争い」
| 関係図 | 内容 |
|---|---|
| 足利義政 | 将軍職を弟(足利義視)に譲ろうとする |
| 日野富子 | 義政の妻。後に生まれた息子・義尚を将軍にしたい |
| 山名宗全 | 義尚を応援。日野富子の側につく |
| 細川勝元 | 義視を応援。管領として義視を将軍にしたい |
→ 家督争い+守護大名の派閥争いが合体し、大規模な戦乱に!
応仁の乱のエピソード:足軽が暴走して京都は焼け野原!清水寺も一度焼失しました!
2. 戦国大名とは?なぜ出てきたの?
応仁の乱によって幕府の力は弱まり、「家来が主人に勝つ」風潮が広がった
→ これが「下剋上」
下剋上の意味:「下の者が上の者に打ち勝つ」
→ 主人を倒して力を持った者が「戦国大名」になった!
生徒の暗唱トレーニング:「下剋上は?」「家来が主人に打ち勝つ!」
→ 使えるようになるから定着する!
3. 分国法とは?大名が作った“国のルール”
分国法=戦国大名が独自に定めた法
朝倉家の分国法の例:
- 世襲制度をやめ、実力主義に
- 夜に武士が遊ぶのは禁止(士気低下を防ぐため)
- 一乗谷への移住命令 → 城下町づくり!
意味をおさえると……
| 用語 | 内容 |
|---|---|
| 下剋上 | 下の身分の者が上の者を打ち破る風潮 |
| 分国法 | 戦国大名が決めた独自のルール(法制度) |
| 城下町 | 城のまわりに家来や商人が集まり町が形成された |
4. 一向一揆とは?信仰の力が生んだ民衆の反乱
一向宗(=浄土真宗)の信者による集団行動が「一向一揆」
教科書の実例:加賀の一向一揆 → 守護大名を追い出して、自分たちで自治をおこなった!
一向一揆の特徴:
- 宗教のつながりが強い
- 武士だけでなく、農民・商人も参加
- 戦国大名さえ手を焼いたほど強かった!
5. 有名な戦国大名をチェック!
| 地域 | 大名名 |
|---|---|
| 広島 | 毛利元就 |
| 越後(新潟) | 上杉謙信 |
| 尾張(愛知) | 織田信長 |
| 甲斐(山梨) | 武田信玄 |
歴史マンガやゲームで名前を見たことある人も多いはず!それぞれの大名が、自分の国を治めるために分国法を作り、城下町を築いていました
キーワードまとめ
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| 応仁の乱 | 足利将軍家の跡継ぎ争いや守護大名の対立で起きた戦乱(1467〜) |
| 下剋上 | 下の身分の者が上の身分の者を倒し、のし上がる風潮 |
| 戦国大名 | 応仁の乱後に登場した地域支配者。下剋上によって生まれた |
| 分国法 | 戦国大名が独自に制定したルールや法律のこと |
| 城下町 | 城の周りに形成された町。家来や商人が集まって経済が発展 |
| 一向一揆 | 浄土真宗(一向宗)の信者による武力を伴う自治的な反乱 |
確認問題(選択式)
- 応仁の乱の原因として正しいものは?
A. 金閣と銀閣の争い B. 城の建設の対立 C. 将軍の跡継ぎ争い D. 農民の反乱 - 「下剋上」とはどんな風潮?
A. 主人が家来に従う B. 下の者が上の者に打ち勝つ C. 国が統一される D. 一揆の中心となる考え方 - 分国法の目的として正しいものは?
A. 農業を禁止する B. 商人を追放する C. 大名が独自の法をつくる D. 民衆の感情を大事にする - 朝倉家の分国法で禁じられた行為は?
A.夜に武士が娯楽を楽しむこと B. 朝に訓練すること C. 商人が店を開くこと D. 国を出ること - 一向一揆が強かった地域として教科書に登場するのは?
A. 広島 B. 加賀 C. 飛騨 D. 関東
答え
- C:将軍の跡継ぎ争い
- B:下の者が上の者に打ち勝つ
- C:大名が独自の法をつくる
- A:夜に武士が娯楽を楽しむこと
- B:加賀
記述練習問題
- 応仁の乱の原因となった将軍家の争いについて、関係人物と守護大名の対立をふまえて説明しなさい。
- 下剋上の考え方が広まったことで、社会にどのような変化があったかを書きなさい。
- 分国法と城下町はどのように関係があるか、朝倉家の例を使って説明しなさい。
- 一向一揆が戦国大名にとってどんな存在だったか、信仰の力とあわせて説明しなさい。
解答例
1. 足利義政は弟の義視を将軍にしようとしたが、後に妻の富子との間に義尚が生まれたため、将軍の座をめぐって争いが起きた。山名宗全は義尚を、細川勝元は義視を支持し、大名たちの対立も重なって応仁の乱が始まった。
2. 下剋上の風潮が広まり、下の身分だった人が主人を倒して戦国大名になるなど、身分に関係なく力を持つようになった。新たな支配者が現れ、戦国時代が始まった。
3. 朝倉家の分国法では、国人・地侍に一乗谷への移住を命じています。一乗谷には館があり、武士や商人が集まって城下町が形成されました。分国法によって地域支配や統制が進み、城のまわりに町ができるしくみが整えられていきました。
4. 一向一揆は浄土真宗の信者によって起こされた反乱で、信仰による団結力が強く、加賀では守護大名を追い出して自治を行ったほどです。戦国大名にとっては力のある宗教勢力であり、対応に苦しむ存在でした。


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