皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も一緒に社会科の歴史について学んでいきましょう!
「建武の新政って理想だったのに、どうして2年で終わったの?」
「二条河原落書には、誰の怒りがこめられていたの?」
鎌倉幕府が滅びた後、後醍醐天皇が始めた政治改革「建武の新政」。しかし、その理想はわずか2年で崩壊します。京都の町に貼られた風刺文 二条河原落書 を手がかりに、武士たちの不満や政治の矛盾を掘り下げていきましょう!
建武の新政
1. 建武の新政:理想と現実のズレ
1333年に鎌倉幕府が滅亡した後、1334年から後醍醐天皇が始めた新しい政治を 建武の新政 といいます。
しかし、この政治はすぐに大きな問題にぶつかります。
- 恩賞の不公平:北条氏の土地を貴族に優先して分け与え、命をかけて戦った武士への恩賞が少なかった。
- 土地権利の不安定:天皇の承認がなければ土地の支配が認められなくなり、武士の権利が制限された。
- 重い負担:天皇の新しい御所を建てるために、武士から高い税を徴収した。
鎌倉時代から続く 御恩と奉公 の関係が無視されたことで、武士たちの心は天皇から離れていきました。
2. 二条河原落書:民衆の本音が爆発
1334年、京都の二条河原に掲げられた風刺の落書きが 二条河原落書 です。
この文書からは、当時の人々のリアルな感情が読み取れます。
- 「世の中が乱れている」
- 「政治がまったく信頼されていない」
- 「貴族ばかり優遇され、武士が軽んじられている」
「不安な思い」や「このままではいけない」という民衆の怒りが、リズムの良い文体で皮肉たっぷりに描かれています。
3. なぜ建武の新政は2年で終わったのか?
反乱のきっかけは、武士の不満爆発でした。
後醍醐天皇が公家(貴族)中心の政治を強行したことで、武士のリーダー格であった 足利尊氏 が反旗を翻します。
尊氏は京都を占領し、別の天皇を立てました。これにより、朝廷は京都(北朝)と吉野(南朝)の二つに分かれる 南北朝時代 へと突入することになります。
4. キーワードまとめ
| 用語 | 内容 |
| 建武の新政 | 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が始めた貴族中心の政治改革(1334年~)。 |
| 御恩と奉公 | 土地を仲立ちとした主君と武士の信頼関係。建武の新政ではこれが無視された。 |
| 二条河原落書 | 建武の新政の混乱ぶりを皮肉った、京都に出された風刺文(1334年)。 |
| 足利尊氏 | 建武の新政に反発した武士の代表。後に京都に室町幕府を開く。 |
5. 基礎用語の確認問題(選択式)
【問1】建武の新政が始まった年として最も適切なのはどれか。
A. 1185年 B. 1333年 C. 1334年 D. 1336年
【問2】建武の新政に対して不満を持ったのは主にどの身分の人々か。
A. 公家 B. 農民 C. 商人 D. 武士
【問3】二条河原落書が伝えていることとして正しくないものはどれか。
A. 政治への不満 B. 公家への称賛 C. 世の中の乱れ D. 武士の不満
【問4】鎌倉時代に武士と主君の関係を支えていた制度は何か。
A. 朝貢 B. 御恩と奉公 C. 惣 D. 下剋上
【問5】建武の新政のあと、足利尊氏が設立したのは何か。
A. 室町幕府 B. 鎌倉府 C. 江戸幕府 D. 民衆政権
6. 基礎用語の確認問題の答え
- 【問1】 C:1334年
- 【問2】 D:武士
- 【問3】 B:公家への称賛
- 【問4】 B:御恩と奉公
- 【問5】 A:室町幕府
7. 高校入試対応:記述問題
【問題】
後醍醐天皇の政治改革(建武の新政)がわずか2年で失敗した理由を、武士との関係に注目して説明しなさい。
【解答例】
後醍醐天皇が貴族を優遇する政治を行い、武士が期待していた土地の恩賞や権利を十分に保障しなかったため、武士の強い反発を招いたから。建武の新政 の失敗は、現場で戦った武士たちの気持ちを無視したことにありました。
歴史上の政治改革が成功するかどうかは、当時の社会を支えていた実力者(この場合は武士)を納得させられるかどうかにかかっているのですね。

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