皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。
織田信長がキリスト教を保護し、南蛮貿易を歓迎していたことは有名ですよね。しかし、その後を継いだ豊臣秀吉は一転してバテレン追放令(ばてれんついほうれい)を出し、宣教師たちを追い出そうとしました。
「貿易はしたいけど、キリスト教はダメ!」という、一見矛盾した秀吉の行動。そこには、天下統一を目指すリーダーならではの「ある危機感」があったのです。
秀吉のキリスト教の禁止
1. なぜ武士たちは「キリシタン大名」になったのか?
戦国時代、キリスト教を信じる大名をキリシタン大名と呼びました。代表的な人物には、大友宗麟や、ローマへ少年使節を送った大村純忠・有馬晴信などがいます。
彼らがキリスト教を信じたのには、単なる信仰心だけでなく、強力な理由がありました。
- 最新の武器「鉄砲」と「火薬」を手に入れるため
- 南蛮貿易(ポルトガル・スペインとの貿易)を有利に進めるため
当時の宣教師(バテレン)たちは貿易とセットで布教を行っていたため、大名たちは「貿易の利益 = キリスト教の保護」という条件を受け入れていたのです。
2. 秀吉の豹変:1587年「バテレン追放令」
1587年、九州を平定した秀吉は、博多で宣教師コエリョに対し、突然バテレン追放令を突きつけます。「宣教師は20日以内に国外へ去れ!」という厳しい内容でした。
しかし、不思議なことに秀吉は「貿易」自体は禁止しませんでした。あくまで「布教」だけをダメだと言ったのです。
3. 禁止された「3つの大きな理由」
なぜ、秀吉はそれほどまでにキリスト教を恐れたのでしょうか?
- 日本人奴隷(どれい)の売買 当時のデータによると、一部の南蛮人が日本人を奴隷として海外に売り飛ばしていました。これを知った秀吉は激怒したと言われています。
- 神社仏閣(お寺や神社)の破壊 キリスト教に熱心な大名や信者が、古い仏像やお寺を壊す事件が起きていました。これは日本の神仏を大切にする文化と衝突しました。
- 団結力の恐怖 「神」という唯一絶対の存在を信じるキリシタンたちの団結力は凄まじいものでした。秀吉は、彼らが主君や秀吉よりも「神(デウス)」の命令を優先することを、天下統一の邪魔になると考えたのです。
4. 基礎用語の確認問題(5問)
【問1】 キリスト教を信仰し、洗礼を受けた戦国大名を何といいますか。
【問2】 1587年、豊臣秀吉が宣教師の国外追放を命じた法令を何といいますか。
【問3】 キリシタン大名たちが、ローマ教皇のもとへ派遣した4人の少年の使節を何といいますか。
【問4】 南蛮貿易で、日本が鉄砲や火薬と引き換えに大量に輸出していた貴金属は何ですか。
【問5】 キリスト教の宣教師を、当時の言葉で何と呼びましたか。
5. 基礎用語の確認問題の答え
【問1】 キリシタン大名
【問2】 バテレン追放令
【問3】 天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)
【問4】銀
【問5】 バテレン(宣教師)
6. 高校入試に出る記述問題
【問題】 豊臣秀吉はバテレン追放令を出してキリスト教を禁止しようとしましたが、南蛮貿易自体は奨励(おすすめ)し続けました。それはなぜですか。「利益」という言葉を使って説明しなさい。
7. 答え
南蛮貿易によってもたらされる鉄砲や火薬、生糸などの輸入品から得られる経済的な利益を重視したから。8. まとめ



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