記述問題の鉄板!信長はなぜ最強の武田騎馬隊に勝てたのか?【長篠の戦い】

安土・桃山時代
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皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。

安土桃山時代のハイライトといえば、1575年の長篠(ながしの)の戦いです。 織田信長・徳川家康の連合軍が、当時日本最強といわれた武田勝頼の騎馬隊を打ち破ったこの戦い。

テストの記述問題でも「なぜ信長は勝てたのか?」という理由は超頻出です。今回は、データをもとにその勝因をスッキリ整理します!

長篠の戦いで勝てた理由


1. 「最強の矛」vs「最新の盾」

当時の武田軍の騎馬隊は、他国から恐れられる圧倒的な攻撃力を持っていました。それに対し、信長が用意したのは3000丁もの鉄砲と、それまでの戦国時代にはなかった「戦い方の工夫」でした。

2. 勝敗を分けた「3つのポイント」

信長が勝てた理由は、大きく分けて3つあります。

  1. 馬防柵(ばぼうさく)の活用: いきなり突っ込んでくる騎馬隊を防ぐために、木製の柵を立てました。これにより、武田軍のスピードを完全に止めました。
  2. 鉄砲の組織的な利用(三段構え): 鉄砲は一度撃つと次の発射まで時間がかかるのが弱点でした。そこで信長は、兵士を3列に並べ、交代で撃たせることで「絶え間ない攻撃」を可能にしたといわれています。
  3. 兵農分離(専門の兵士): 信長の軍勢には、農業をせず戦いだけに専念する「足軽(あしがる)」が多くいました。これにより、どんな時期でも高度な訓練を受けた軍隊を動かすことができたのです。
長篠の戦い
不明 – 徳川美術館蔵, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6386115による

3. 歴史の裏側:なぜ信長だけ「3000丁」も持てた?

鉄砲は当時、非常に高価な武器でした。なぜ信長にだけそれが可能だったのでしょうか? 答えは、前回の記事でも紹介した楽市楽座(らくいちらくざ)にあります。

商売を自由にして経済を活発にしたことで、信長の元には莫大な資金が集まっていました。つまり、「経済力=軍事力」という現代にも通じる戦略が、長篠での勝利を支えていたのです。


4. 基礎用語の確認問題(5問)

【問1】 1575年、織田・徳川連合軍が武田軍を破った戦いを何といいますか。

【問2】 長篠の戦いで信長が大量に使用した、当時の最新兵器は何ですか。

【問3】 騎馬隊の突撃を防ぐために、信長軍が戦場に築いたものは何ですか。

【問4】 当時「日本最強」といわれた、武田軍の部隊を何といいますか。

【問5】 農業をせず、専門の兵士として戦った身分の低い歩兵を何といいますか。


5. 基礎用語の確認問題の答え

【問1】 長篠の戦い

【問2】 鉄砲(火縄銃)

【問3】 馬防柵(ばぼうさく)

【問4】 騎馬隊(きばたい)

【問5】 足軽(あしがる)


6. 高校入試に出る記述問題

【問題】 織田信長は、それまでの鉄砲の弱点をどのように克服して武田軍に勝利しましたか。「柵」と「三段」という言葉を使って説明しなさい。


7. 答え

馬防柵を築いて騎馬隊の動きを止め、鉄砲隊を三段に構えて交代で撃たせることで、弾を込める時間の隙をなくして連続攻撃を行った。

8. まとめ

  1. 1575年の長篠の戦いで、信長は最新兵器の鉄砲を組織的に活用した
  2. 最強の武田騎馬隊を防ぐため、戦場に馬防柵を設置して突撃を封じた
  3. 鉄砲を三段構えで交代に撃たせることで、発射までのタイムラグを克服した
  4. こうした大量の武器を揃えられたのは、楽市楽座による豊かな経済力があったからである
  5. 訓練された足軽を組織し、集団戦法を確立したことが勝利の決め手となった
  6. この戦いによって、戦国時代の主役は騎馬隊から鉄砲へと大きく変わることになった

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