江戸時代ができるまでの出来事、幕藩体制の確立までの流れです。
江戸時代の幕藩体制とは
江戸幕府の政治の仕組みとは
分かりやすく解説します。
キーワードは
・関ヶ原の戦い
・徳川家康
・江戸幕府
・幕藩体制
・老中
関ヶ原の戦い~天下分け目の戦い~
江戸幕府ができる前に権力を握っていた人物は「豊臣秀吉」です。
豊臣秀吉は朝鮮出兵の失敗の最中、亡くなってしまいます。
豊臣家中の大名同士で争いが起こります。
豊臣秀吉の後に権力をにぎったのは徳川家康です。
徳川家康が権力をにぎるきっかけとなったのが「関ヶ原の戦い」です。
1600年 徳川家康と石田三成が関ヶ原で戦った
勝者は徳川家康
勝った徳川家康は1603年に征夷大将軍に就任
1603年に江戸幕府を開きました。
幕藩体制~幕府と藩が土地と人民を支配~
幕藩体制とは幕府と藩が土地と人民を支配する体制のことです。
「藩」はざっくりと言えば、現在の「都道府県」のようなものです。
幕府の権限は大きかったです。一方で藩には地方を治める自由裁量がありました。
江戸幕府の支配の仕組みについてです。
江戸幕府が最初に行った政策です
① 全国の石高の4分の1を直接支配
② 京都・大阪・長崎など経済的に重要な都市を支配
③ 主要な鉱山を支配
④ 貨幣を発行する権利を独占
しかし、徳川家康には困ったことがありました。
江戸幕府で4分の1を直接支配しても、残り4分の3は他の大名が支配しています。
もし、4分の3が団結して江戸に攻めてきたと不安になります。
そこで、徳川家康に大名をどのように配置したら良いか、考えに考えました。
江戸時代、大名は大きく3つに分けられます
親藩 徳川家の親戚の親藩
譜代大名 昔からの家来
外様大名 関ヶ原の戦いの後から従った
親藩、譜代大名、外様大名をどのように配置をするのか。
徳川家康は、
「江戸の近くに徳川家の一族である親藩、徳川家の古くからの家臣の譜代大名を置いた。江戸から遠い場所に関ヶ原の戦いから従った外様大名を置いた」 |
江戸幕府が長期的に成功した理由の1つが上の大名の配置です。
江戸幕府の政治の体制
江戸幕府の政治の体制です。
将軍を中心とする政治体制です。
実際に政治をまとめて行うのが将軍が任命した「老中」です。
現在の内閣総理大臣に似た役職です。
「大老」は臨時の役職です。有名な人は幕末の「井伊直弼」です。
用語確認 一問一答
① 1600年 徳川家康と石田三成が戦った戦い
② 1603年 徳川家康が開いた幕府
③ 幕府と藩が土地と人民を支配する仕組み
④ 将軍が任命する政治を行う役職
⑤ 江戸幕府は大名をどのように配置した
用語確認 一問一答 ~答え~
① 関ヶ原の戦い
② 江戸時代
③ 幕藩体制
④ 老中
⑤ 江戸の近くに徳川家の一族である親藩、徳川家の古くからの家臣の譜代大名を置いた。江戸から遠い場所に関ヶ原の戦いから従った外様大名を置いた