皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。
明治時代の日本にとって、最大の目標は欧米列強と対等な権利を持つ「一等国」になることでした。その最後の高い壁として立ちはだかっていたのが、自分たちで輸入品の税金(関税)を決められないという不平等なルールでした。
今回は、その壁を見事に打ち破った小村寿太郎(こむらじゅたろう)の功績と、関税自主権(かんぜいじしゅけん)の回復が日本に何をもたらしたのかを解説します!
小村寿太郎~関税自主権の回復~
1. 「関税自主権」がないと、なぜ困るの?
そもそも、関税自主権がない状態とはどういうことでしょうか?
たとえるなら、「自分の家の玄関に、他人が勝手に安い値段で荷物を置いていくのを止められない」ような状態です。
- 外国の安い製品がどんどん日本に入ってくる。
- 日本で作った製品が売れなくなる。
- 日本の産業が育たず、お金が海外に逃げていく。
日本が近代的な工業国として成長するためには、自分の国で税率を決めて国内の産業を守る関税自主権がどうしても必要だったのです。
2. 1911年の大逆転!小村寿太郎の「決断」

1894年に陸奥宗光が「領事裁判権」の撤廃に成功しましたが、関税については一部の回復にとどまっていました。
そして日露戦争後の1911年。外務大臣の小村寿太郎は、アメリカとの新条約(日米通商航海条約)の調印を皮切りに、ついに関税自主権の完全な回復を成し遂げました。
幕末の1858年に不平等条約を結ばされてから、じつに53年。
日本はついに、欧米列強と同じ権利を持つ一等国(列強)の仲間入りを正式に果たしたのです!
3. なぜ「小村寿太郎」は成功できたのか?
かつての岩倉具視たちが失敗したのに、なぜ小村は成功できたのでしょうか。そこには3つの大きな理由がありました。
- 戦争の勝利:日清・日露戦争に勝利したことで、日本の軍事力と国力が世界に認められた。
- 産業の発展:八幡製鉄所の設立など、日本の重工業が発展し、経済力がついていた。
- 粘り強い外交:小村の「日本はもう支配される側ではない」という強い意志と、当時の国際情勢(日英同盟など)を活かした交渉術。
4. 基礎用語の確認問題(5問)
【問1】 1911年に、関税自主権の完全な回復に成功した外務大臣は誰ですか。
【問2】 輸入品にかける税金を、自分の国で自由に決められる権利を何といいますか。
【問3】 1894年に、関税に先立って「領事裁判権」の撤廃に成功した人物は誰ですか。
【問4】 日本が関税自主権を取り戻した1911年は、何という戦争の数年後ですか。
【問5】 帝国主義の時代、軍事力を背景に植民地を持つ強国を何といいますか。
5. 基礎用語の確認問題の答え
【問1】小村寿太郎
【問2】関税自主権
【問3】陸奥宗光(むつむねみつ)
【問4】日露戦争
【問5】列強(一等国)
6. 高校入試に出る記述問題
【問題】
1911年に関税自主権の回復が実現したことで、日本の経済にはどのようなメリットがありましたか。「産業」という言葉を使って説明しなさい。
7. 答え
自国で自由に輸入税を決められるようになったことで、外国の安価な製品に対抗し、国内の産業を保護・発展させることが可能になった。8. まとめ



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