欧化政策は猿マネ?~風刺画で読み解く欧化政策~

歴史
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皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。

明治時代の教科書で、一番インパクトがある絵といえばこれではないでしょうか。

鏡の前で着飾る男女が、実は「猿」として描かれている風刺画です。

フランス人の画家ビゴーが描いたこの一枚には、当時の日本の「必死だけど空回りしていた努力」がすべて凝縮されています。今回は、この風刺画の細部を徹底解説します!


1. 風刺画をズーム!描かれた「3つの皮肉」

鹿鳴館にかんする風刺画(wikibooks

この絵をよく見てみると、当時の日本人がいかに欧米から冷ややかな目で見られていたかが分かります。

  • 鏡の中の正体:「猿まね」への侮蔑鏡の外側では立派な紳士淑女の格好をしていますが、鏡に映った顔は完全に「猿」です。「人間(西洋人)の真似をしているだけの動物だ」という、強烈な差別とバカにした視線が込められています。
  • ぼやけて不自然なドレス注目してほしいのが、女性が着ているドレスの描き方です。体型に全く合っておらず、どこか「ぼやけて」描かれています。これは、当時の日本人がドレスの構造(コルセットなど)を理解せず、ただ布を巻きつけただけのような「うわべだけの模倣」だったことを皮肉っているのです。
  • 不自然なポーズ慣れない高いヒールの靴や、窮屈な夜会服。鏡の前でポーズをとる姿が、どこかギクシャクして見えませんか? ビゴーは「無理をして背伸びをしている日本人の滑稽さ」を強調したのです。

2. なぜそこまでしたの? 井上馨の「欧化政策」

外務大臣の井上馨(いのうえかおる)がこれほどまでに西洋化を推し進めたのは、遊びたかったからではありません。

すべては不平等条約の改正のためでした。

「日本はもう野蛮な国ではありません。あなたたちと同じドレスを着て、ダンスを踊る文明国です。だから、対等な条約を結んでください!」

そう訴えるために、鹿鳴館(ろくめいかん)を作り、連日のようにダンスパーティーを開いたのです。しかし、中身(法律や軍事力)が伴わない「見た目だけ」の改革は、欧米列強には通用しませんでした。

(鹿鳴館での舞踏会の様子 出典:Wikipedia

3. 【なるほど豆知識】なぜ「猿」だったのか?

中学生の皆さんに、ちょっとした「なるほど」な豆知識です。

★ なぜ動物の中でも「猿」なの?

西洋では古くから、猿は「知性はないが人間の真似だけは得意な動物」の象徴とされてきました。

19世紀の欧米人にとって、急速に西洋化する日本人は驚異でしたが、同時に「自分たちの文化の表面だけをコピーしている」ように見えました。だからこそ、「尊敬」ではなく「猿まね」という最大の侮辱を込めて描いたのです。


4. 努力はむなしく…中止に追い込まれた決定打

この欧化政策による条約改正は、結局失敗に終わりました。

日本の努力が「むなしく終わった」ことを決定づけたのが、1886年のノルマントン号事件です。

「ドレスを着て踊っている間に、日本人は見殺しにされ、不平等な裁判で犯人は守られている。見た目を変えても何も変わらないじゃないか!」

この国民の怒りが、井上馨の外交を終わらせました。「ダンスでは国は守れない」という厳しい現実を突きつけられた瞬間でした。


5. 基礎用語の確認問題(5問)

【問1】 鏡に映る日本人を猿として描き、欧化政策を皮肉ったフランス人の画家は誰ですか。

【問2】 井上馨が条約改正のために建設した、欧化政策の象徴ともいえる洋館は何ですか。

【問3】 この風刺画で描かれている、日本人が西洋の表面だけを模倣することを揶揄した言葉は何ですか。

【問4】 当時、日本が欧米と対等になるために目指していた国の格付けを何といいますか。

【問5】 欧化政策の失敗の決定打となった、イギリス船による海難事件は何ですか。


6. 基礎用語の確認問題の答え

【問1】ビゴー

【問2】鹿鳴館

【問3】猿まね

【問4】一等国(列強)

【問5】ノルマントン号事件


7. 高校入試に出る記述問題

【問題】

ビゴーの風刺画で、日本人が鏡の中で「猿」として描かれているのは、当時の欧米人が日本の近代化をどのように見ていたからだと考えられますか。


8. 答え

日本の近代化が、法制度などの内実を伴わない、西洋の表面的な模倣(猿まね)に過ぎないと考えていたから。

9. まとめ

  1. ビゴーの風刺画は、鏡の中のを通して日本の表面的な近代化をバカにしている
  2. 井上馨は、条約改正のために欧化政策を進め、鹿鳴館を建設した
  3. 風刺画のぼやけたドレスは、無理に着せられた西洋文化への違和感と皮肉を表している
  4. ノルマントン号事件により、見た目を取り繕う外交は国民から激しく批判された
  5. 「猿まね」と笑われた日本の努力はむなしく終わり、政策は中止に追い込まれた
  6. この屈辱が、後の陸奥宗光による「本物の実力(法整備)」を重視する外交へと繋がった

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