皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。
1221年、日本を揺るがす大事件が起きました。それが「承久の乱(じょうきゅうのらん)」です。
「天皇(朝廷)が幕府を倒そうとした」という、当時としてはありえないスキャンダラスなこの戦い。なぜ起きたのか? なぜ幕府は勝てたのか? そして、この戦いのあと日本はどう変わったのか?
受験生も小学生も、これさえ読めば「承久の乱」は完璧!という決定版をお届けします!
1221年 承久の乱
1. なぜ起きた? 承久の乱の「きっかけ」
源頼朝が作った鎌倉幕府ですが、頼朝が亡くなった後、源氏の将軍はたった3代で途絶えてしまいました。
- 幕府の状況: 将軍がいなくなり、北条氏が「執権(しっけん)」として政治を代行。幕府の力が弱まったように見えました。
- 朝廷の状況: 「今こそ、武士から天皇(朝廷)に実権を取り戻すチャンスだ!」と考えたのが、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)でした。
1221年、後鳥羽上皇は「執権・北条義時(よしとき)を倒せ!」という命令を全国に出しました。これが「承久の乱」の始まりです。
2. 幕府の大ピンチ! 武士たちを救った「尼将軍」の言葉
上皇から「幕府を倒せ」という命令が出たとき、鎌倉の武士たちはガクガク震えました。
なぜなら、当時の武士にとって天皇(朝廷)は神様のような存在。逆らえば「朝敵(ちょうてき:国の敵)」になってしまうからです。
その大ピンチを救ったのが、頼朝の妻・北条政子(ほうじょうまさこ)でした。
★ 伝説の演説(要約)
「みなの者、よく聞きなさい。亡き頼朝公が幕府を開いてから、あなたたちの地位や土地はどうなりましたか? その恩は山より高く、海より深いはずです。今こそ、その恩を返す時です。朝廷の言葉に惑わされず、幕府を守りなさい!」
この言葉を聞いた武士たちは、「そうだ! 土地を守ってくれたのは頼朝公だ!」と団結。圧倒的な軍勢で京都へ攻め上りました。

3. 【結果】幕府の圧勝! 日本の形が激変した
戦いはわずか1ヶ月ほどで、幕府軍の圧勝に終わりました。この結果、日本のパワーバランスが完全に逆転します。
① 上皇の処罰
後鳥羽上皇は、島根県の隠岐(おき)に流されました。天皇や上皇が武士によって処罰されるなんて、歴史上初めてのことでした。
② 西日本への進出(新補地頭)
幕府は、上皇側についた貴族や武士の土地を没収しました。その数は3000カ所以上!
そこに新しい「地頭(じとう)」として、手柄を立てた東国の武士たちを送り込みました(これを新補地頭といいます)。これにより、幕府の力が西日本まで一気に広がりました。
③ 朝廷の監視(六波羅探題)
二度と朝廷が反乱を起こさないよう、京都に「六波羅探題(ろくはらたんだい)」という役所を置き、朝廷を24時間監視するようにしました。

4. 承久の乱が与えた「最大の影響」
この戦いのいちばん重要なポイントはこれです。
これまでは「朝廷のサブ」だった幕府が、名実ともに「日本全国を支配するトップ」になった瞬間でした。
5. 基礎用語の確認!一問一答
【問1】 1221年、幕府を倒そうとして兵を挙げた上皇は誰ですか?
【問2】 幕府が揺らいだ際、演説で武士を団結させた頼朝の妻は誰ですか?
【問3】 乱の後、朝廷を監視するために京都に置かれた役職は何ですか?
【問4】 乱の後、西日本の没収地に新しく置かれた地頭を何といいますか?
【問5】 承久の乱の時の幕府の執権(北条政子の弟)は誰ですか?
6. 一問一答・答え
【問1】 後鳥羽上皇
【問2】 北条政子
【問3】 六波羅探題
【問4】 新補地頭
【問5】 北条義時
7. 入試、定期テストに出やすい記述問題と答え
【問題】
承久の乱の結果、鎌倉幕府と朝廷の関係はどうなりましたか。「優位」という言葉を使って説明しなさい。
【答え】
幕府が朝廷の軍に圧勝したことで、それまで朝廷の影響力が強かった西日本まで支配を広げ、幕府が朝廷に対して完全に政治的な優位に立つことになった。
8. まとめ







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