皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史と社会の仕組みを学んでいきましょう。
「お殿様やエリートじゃなくても、国のトップになれるの?」 そんな当たり前のことが、当たり前じゃなかった時代。ついに「普通の市民」に近い立場から総理大臣が誕生しました。その名は、原敬(はら たかし)です。
「平民宰相(へいみんさいしょう)」と呼ばれ、絶大な人気を誇った彼。でも、一方で「あること」をしなかったために、批判を受けることもありました。 今回は、大正デモクラシーの象徴ともいえる「本格的な政党内閣」の光と影を、世界一わかりやすく解説します!
原敬と政党内閣
1. 政党内閣ってなに? 藩閥政治との違い
これまでの総理大臣は、長州藩や薩摩藩出身の「元老」たちが、話し合いで勝手に決めていました。これを「藩閥(はんばつ)政治」といいます。
対して「政党内閣」とは、
のことです。今の自民党などが中心になって作っている内閣と同じ仕組みですね。
2. なぜ原敬が総理大臣になったのか? ―― 「米騒動」が変えた日本
原敬が総理大臣になれたのには、ある大事件が関係しています。それが、前回の記事で紹介した「米騒動(こめそうどう)」です。
- 物価高にブチギレ: 大戦景気でお米の値段が上がりすぎ、主婦たちが暴動を起こしました。
- 政府の失敗: 当時の寺内正毅(てらうち まさたけ)内閣は、軍隊を使って無理やり抑え込もうとしましたが、国民の怒りは収まらず辞任に追い込まれました。
- ついに期待の星へ: 「もう軍人やエリートの政治は嫌だ! 国民の気持ちがわかるリーダーを!」という声に押され、日本最大の政党「立憲政友会(りっけんせいゆうかい)」のリーダーだった原敬に白羽の矢が立ったのです。
3. 「平民宰相」原敬の圧倒的な人気

原敬は、華族(貴族)の位を持たない「平民(へいみん)」でした。
- 国民のヒーロー: 「自分たちと同じ立場の人が総理大臣になった!」と、当時の国民は熱狂しました。
- 実力派: 彼は新聞記者から政治家になった苦労人で、政治の裏表を知り尽くしていました。
4. 原敬が行ったこと:教育と交通のパワーアップ

原敬は、日本をもっと豊かにするために「四大政綱(よんだいせいこう)」を掲げました。
- 教育の充実: 大学を増やし、もっと多くの人が学べるようにしました。
- 交通の整備: 鉄道を全国に広げました。「鉄道が通れば街が潤う!」と考えたのです。
- 産業の振興: 工業や農業を助ける政策を進めました。
5. なぜ? 「普通選挙」を実現させなかった理由
これほど民主主義を期待されていた原敬ですが、実は「普通選挙(納税額に関係なく全員が投票できること)」には反対していました。ここが受験の重要ポイントです!
- 納税額を下げただけ: 投票できる条件を「税金10円以上」から「3円以上」に下げましたが、完全な無料化はしませんでした。
- 理由は?: 「まだ国民の政治への理解が足りない」と考えたことや、自分の政党(立憲政友会)を応援してくれる「お金持ちや地主」の有利な状況を守りたかったからだと言われています。 これには、期待していた学生や労働者たちが「裏切られた!」とガッカリしてしまいました。
6. 日本に与えた影響:新しい時代のスタンダード
原敬は1921年、東京駅で刺されて亡くなるという悲劇的な最後を遂げます。しかし、彼が残した影響は巨大でした。
- 「憲政の常道」: 「選挙で勝った党が政党内閣を作る」という、現代に繋がる政治のルールが当たり前になりました。
- 本格的な民主主義へ: その後の「普通選挙法(1925年)」の成立へと繋がる、大きな扉を開いたのです。
7. 基礎用語の確認!一問一答(テストに出るよ!)
【問1】 1918年、米騒動のあとに成立した、本格的な政党内閣を組織した総理大臣は誰ですか?
【問2】 原敬がリーダーを務めていた、当時の日本最大の政党は何ですか?
【問3】 華族の位を持たない原敬は、国民から何というニックネームで親しまれましたか?
【問4】 原敬は選挙権の条件となる納税額をいくらに引き下げましたか?
【問5】 選挙で第一党となった政党が内閣を組織するという、当時の政治の慣習を何といいますか?
8. 一問一答・答え
【問1】 原敬
【問2】 立憲政友会
【問3】 平民宰相
【問4】 3円以上
【問5】 憲政の常道
9. 入試・定期テストに出やすい記述問題と答え
【問題】 原敬が内閣を組織したことは、それまでの内閣と比べてどのような点が画期的だったのか、「藩閥」と「政党」という言葉を使って説明しなさい。
【答え】 明治以来続いていた長州・薩摩藩出身者による藩閥政治ではなく、衆議院で第一党となった政党のメンバーを中心に組織された本格的な内閣だった点。
10. まとめ






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