江戸時代は農業が進歩しました。
石高(収穫量)が大幅に増えました。
江戸時代の農業について
石高(収穫量)が増えた理由について
わかりやすく、解説していきます。
江戸時代の農業
石高は米のとれる量(収穫量)です。
1石=1年間に一人が食べるお米の量
百姓は石高(収穫量)の中から年貢を納めていました。
① 年貢の負担
A村の例
A村
収入 1456石
年貢 726石
年貢率 47%
「五公五民」と言われます。
年貢率は約50%
現在だと給料の半分が税金で持って行かれるのと同じです。
400万円の収入で200万円が税金。残り200万円
生活できそうにありません。
② 新田開発~耕地面積の増加~
しかし、A村は実はまだ田んぼを持っていました。
沼地を開拓使、耕作面積を増やしていました。
新田開発です。
海は広い沼地を干拓や埋め立てを行い耕地面積(田んぼの面積)を増やす
新田開発をした田んぼは役人には内緒です。
A村は新田開発をして収入が増えて
収入 1456石→4151石
年貢 726石
年貢率 17%
400万円の収入で68万円が税金。残り332万円
生活は楽になります。
新田開発をすることで耕地面積が増え、石高(収穫量)が多くなりました。
③ 新しい農具~作業効率の向上~
新しい農具が開発されました。
「備中ぐわ」 耕す道具
「千歯こき」 脱穀の道具
「唐箕」 もみがら、わらくずを選別
新しい農具のおかげで格段に農業の作業効率が上がります。
新しい農具で石高(収穫量)が増えました。
④ 新しい肥料~干鰯~
江戸時代は漁業も盛んでした。
いわし漁が行われていました。
いわしは食べるだけではありません。
いわしを干した「干鰯」といわれる肥料が使われました。
効果の高い肥料の「干鰯」によって石高(収穫量)が増えました。
⑤ 商品作物の栽培
「新しい農具が欲しい」
「干鰯が欲しい」
となったとき、必要になるものがあります。
お金が必要
農村では、年貢となるお米以外の物を栽培するようになります。
商品作物の栽培です。
売ることが目的の作物
商品作物で栽培された物
綿織物に加工される「木綿」
生糸の生産に必要な「桑・養蚕」
衣類の主流だった「麻」
油として加工される「菜種」
染め物に利用される「藍・紅花」
商品作物の栽培、売買によって農村でも貨幣が流通していきます。
まとめ
- 江戸の百姓の年貢の負担は重かった
- 石高(収穫量)が増えたのは、沼地や海を干拓や埋め立てた新田開発をしたから
- 石高が増えたのは、新しい農具の備中ぐわ、千歯こき、唐箕などが普及した
- 石高が増えたのは、干鰯などの効果の高い肥料が使われるようになった
- 商品作物を栽培することで農村にも貨幣が広がった
用語確認 一問一答
① 海や広い沼地を干拓、埋め立てをして田んぼをつくること
② 売ることを目的の作物
③ いわしを干した効果の高い肥料
用語確認 一問一答 ~答え~
① 新田開発
② 商品作物
③ 干鰯