明治維新とは明治政府の政治、経済、社会の変革のことです。
明治政府はどのような政策を行ったのか
五箇条の御誓文とはどのような目的で出されたのか
版籍奉還、廃藩置県はどのような目的で出されたのか
藩閥政府とは何なのか
明治維新の初期の政策をわかりやすく、簡単に解説します。
キーワード
・五箇条の御誓文
・版籍奉還
・廃藩置県
・藩閥政府
五箇条の御誓文
明治政府が「江戸時代とは違うぞ!」と示すために出したのが「五箇条の御誓文」です。
明治政府の政治の方針が書かれています。
明治政府の政治の方針
五箇条の御誓文の内容です。
五箇条の御誓文
一 広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ
(広く会議を開いて、政治は、みんなの意見に従って決定するべし)
一 上下心ヲ一ニシテ 盛ニ経綸ヲ行ウベシ
(明治時代は身分制は関係なくみんなで心をひとつにして 盛んに国民を救う手段を議論していこう)
一 官武一途庶民ニ至ル迄 各其志ヲ遂ゲ 人心ヲシテウマサラシメンコトヲ要ス
(公家と武家と庶民までもが、それぞれの志をとげ、人々の心をあきさせないことが必要だ)
一 旧来ノ陋習ヲ破リ 天地ノ公道ニ基クベシ
(これまでの古く悪い習慣を破って、国際法に基づくべし)
一 智識ヲ世界ニ求メ 大ニ皇貴ヲ振起スベシ
(知識を世界に求め、おおいに天皇の政治を盛んにすべし)
五箇条の御誓文を読んで「これは期待できる!」と思い、庶民も明治政府が行うことに期待を膨らませた者が多かったです。
実際に「五箇条の御誓文」通りの政治が行われたかは、明治時代を勉強しながら考えてみてください。
五箇条の御誓文の後に行った政策
「版籍奉還」と「廃藩置県」
江戸時代までは幕藩体制でした。
幕府と藩が人民と土地を管理していました。
藩の政治は藩主が中心に行います。幕藩体制では、藩主が比較的自由な政治を行えました。
明治政府は政府の命令を地方までいきわたらせる「中央集権国家」をつくりたいと考えました。その方がスピーディーに政府の指示通りに地方が動くからです。
近代化を進めるために「中央集権国家」をつくることが急務でした。
版籍奉還
江戸幕府は中央集権国家にするために「版籍奉還」を行いました。
版籍奉還とは土地と人民を藩から政府に返させることです。
藩が持っていた土地と人民を明治政府に返させる政策
これによって政府が土地と人民をコントロールしようと考えました。
しかし、藩の政治はそのまま藩主が行いました。
これまでの江戸幕府の幕藩体制と変化はありません。
もちろん明治政府の言う通りにはなりませんでした。
中央集権国家にはまだまだ遠いです。
廃藩置県
次に行ったのは「廃藩置県」
廃藩置県は読んで字のごとく「藩を廃止して県を置くこと」です。
藩を廃止して県を置く政策
ここで重要なのは
県のトップの県令には、中央政府から派遣した人物を就任させました。
中央政府から来た県令はもちろん中央政府(明治政府)に従います。
従わなかったら交替です。
地位を取りあげられないように中央政府(明治政府)の言う通りに政治を行います。
廃藩置県はすんなりいったわけではありません。藩主の抵抗がありました。
しかし、倒幕の立役者の薩摩藩、長州藩が廃藩置県を行ったことで、思った以上にスムーズに進みました。
藩主の思いは「なんでなんだー!」と怒り狂ったと思います。が、戦争にならずにすみました。
藩閥政治
明治政府は、「五箇条の御誓文」で
一 広ク会議ヲ興シ 万機公論ニ決スベシ
(広く会議を開いて、政治は、みんなの意見に従って決定するべし)
と宣言しています。
しかし、政治を行ったのは「公家と薩摩、長州、土佐、肥前藩の出身者」ばかりでした。
どこが「みんなの意見?」なのか、と思います
こういった一部の人たちで行われた政治を「藩閥政府」といいます。
倒幕を主導した薩摩、長州、土佐、肥前や公家を中心とした政府
まとめ
- 明治維新とは明治政府の政治、経済、社会の変革のこと
- 五箇条の御誓文は明治政府の政治の方針を示したもの
- 版籍奉還と廃藩置県で明治政府は中央集権国家を目指した
- 版籍奉還を行ったが藩の政治は藩主が引き続き行い中央集権国家には不十分だった
- 廃藩置県を行い、県の政治は明治政府が送り込む県令が行ったため中央集権国家となった
- 一部の公家や薩摩、長州、土佐、肥前出身者が中心となっている政府を藩閥政府という
用語確認 一問一答
① 明治政府の政治、経済、社会の変革のこと
② 明治政府の政治の方針
③ 土地と人民を藩から政府に返す
④ 藩を廃止し県を置く
⑤ 公家、薩摩、長州、土佐、肥前出身者が中心の政府
用語確認 一問一答 ~答え~
① 明治維新
② 五箇条の御誓文
③ 版籍奉還
④ 廃藩置県
⑤ 藩閥政府