江戸時代は五街道をはじめとする街道の整備された
五街道とは
なぜ五街道が整備されたのか
五街道が整備された結果どうなったのか
わかりやすく、解説していきます。
キーワード
・五街道
・関所
・一里塚
・飛脚
江戸時代~街道の整備~
① 五街道の整備
江戸幕府は全国支配のため、江戸・京都・大阪の三都を結ぶ道を整備します。
「参勤交代」を制度化したため、道の整備も急務でした。
大名が1年おきに領地と江戸を往復する制度
三都を結んでいた「東海道」「中山道」「甲州道中」をまず整備します。
さらに、江戸と日光や白河を結ぶ「日光道中」「奥州道中」も整備しました。
五街道と呼ばれます。
「東海道」「中山道」「甲州道中」「日光道中」「奥州道中」の5つの道のこと
② 関所の設置
道を整備することで人や物の往来が活発になります。
経済の発展につながります。
ただ、フリーパスで多くの人や物が移動すると江戸幕府にとって危険性があります。
そのため、街道には関所がありました。
関所では、審査された人のみ通行することができます。
不審者が入らないようにしていました。
③ 街道に整備されたもの
ただ道を通すだけではありません。
街道には「橋」が設置されました。物と人の往来がより盛んになります。
「一里塚」が置かれました。
一里塚とは一里(約4㎞)ごとに置かれた目印です。
現在の「今、何㎞地点の標識」と思ってください。
街道には「宿場」が整備されました。
宿場には参勤交代の大名が宿泊したり、一般の庶民が旅行で宿泊したりしました。
大名が宿泊するところを「本陣」
庶民が宿泊するところが「旅籠」とよばれていました。
④ 飛脚
街道を整備すると物や人の往来が盛んになります。
飛脚は人でありながら、物も運びます。
手紙や荷物を運ぶ職業
街道を整備すると飛脚が盛んに行き来できるようになります。
物の往来がより盛んになります。
飛脚は江戸~大阪の間を最短で3日で届けます。
手紙も届く時間が短くなり、情報の往来も早くなりました。
まとめ
用語確認 一問一答
① 「東海道」「中山道」「甲州道中」「日光道中」「奥州道中」をあわせた街道の名前
② 江戸を守るために人々の通行を監視するためにおかれたもの
③ 江戸時代の手紙や荷物を運ぶ職業
用語確認 一問一答 ~答え~
① 五街道
② 関所
③ 飛脚