弥生時代
日本は100余りの国々に分かれていた
日本には文字がなく記録がない
そのため、中国の歴史書
「漢書」地理志
「後漢書」東夷伝
に書かれている内容を紹介する
弥生時代の国々の成立を
わかりやすく、簡単に解説していきます。
キーワード
・「漢書」地理志
・「後漢書」東夷伝
・漢委奴国王の金印
弥生時代~国々の成立~
① 「漢書」地理志
中国の歴史書「漢書」地理志の内容についてです。
紀元前1世紀ごろ
日本は100余りの国々に分かれていました。
小さい国々に分かれていました。
100余りの国の中には
朝鮮半島の「楽浪郡」を通じて中国の「漢」の皇帝に使いを送る国もありました。
中国の「漢」に認めてもらうことで、倭の中で地位を高めることができます。
ドラえもんでジャイアンに認められ偉そうにしているスネ夫に似ています。
「ジャイアンが中国の漢」
「スネ夫が倭の中の国」
ジャイアンに認められているからスネ夫はでかい顔ができるわけです。
② 「後漢書」東夷伝
日本は「倭」と呼ばれていました。
日本の倭の中に「奴国」という国があります。
「奴国」は現在の福岡県にありました。
1世紀の頃
「奴国」の王は
中国の皇帝に使いを送ります。
そして、なんと、中国の皇帝から「金印」をもらいました。
金印には「漢委奴国王」と刻まれています。
「漢」の国が認める、「委(倭)」を支配する「奴国」の「王」様と認める
という内容です。
そのため、
中国の皇帝からもらった金印を倭の他の国々に見せると、
中国の皇帝に認められていたら逆らえません
となり、倭国の中で発言権が増し、従う国が増えます。
先程の例だと、ジャイアンに認められたスネ夫だからのび太たちが言うことをききます。
当時は中国の皇帝に認めてもらうことが倭国の中で重要でした。
まとめ
用語確認 一問一答
① 紀元前1世紀頃の日本は何とよばれていたか
② 朝鮮半島の楽浪郡を通じて漢に使いを送ったと書かれている中国の歴史書
③ 奴国が漢の皇帝からもらった金印に書かれている文字
④ 奴国が漢の皇帝から金印をもらったと書かれている中国の歴史書
用語確認 一問一答 ~答え~
① 倭
② 「漢書」地理志
③ 漢委奴国王
④ 「後漢書」東夷伝