大化の改新
中大兄皇子と中臣鎌足が行った
政治改革である
大化の改新によって天皇中心の政治を目指した
大化の改新の内容
大化の改新の目的を
わかりやすく、簡単に解説していきます。
大化の改新
① 東アジアの状況
聖徳太子が亡くなった後の東アジアの状況です。
7世紀初めに強大な帝国を築いた「隋」が滅びます。
日本は「遣隋使」を派遣していました。
「唐(とう)」という国ができます。
唐は隋と同様に律令(法律)に基づき政治を行います。
強大な帝国です。
日本は唐に「遣唐使」を派遣するようになります。
7世紀半ばになると、唐が高句麗を攻めます。
東アジアの国々は緊張感に包まれます。
② 国内の状況
聖徳太子が亡くなった後
蘇我氏が独裁的な政治を行うようになります。
聖徳太子には息子の山背大兄王がいました。この人物は優秀でした。
優秀であるが上に、蘇我氏が独裁をする場合に邪魔になってきます。
蘇我氏は山背大兄王を暗殺します。
邪魔な人物を消していくようになります。
蘇我氏の独裁的な上、恐怖を与える政治
こういった状況に不満が出るようになります。
③ 乙巳の変
中大兄皇子は蘇我氏の独裁的な政治に不満を持っていました。
また、中大兄皇子は優秀な人物です。
中大兄皇子の自身がいつ暗殺されるか分からない状況です。
そこで、中大兄皇子は中臣鎌足と協力をします。
独裁を行っていた蘇我蝦夷を呼び出し、暗殺に成功します。
蘇我蝦夷の息子の蘇我入鹿は、暗殺を知り、自害します。
独裁的な政治を行っていた蘇我氏の排除に成功します。
この出来事を「乙巳(いっし)の変」といいます。
④ 天皇中心の政治を目指す
中大兄皇子は乙巳の変の後、天皇にはなりませんでした。
天皇になるために蘇我氏を滅ぼしたと思われるのを防ぐためです。
目指した政治は、
天皇中心の政治
です。
中大兄皇子は、遣唐使で唐の文化や制度を学んできた留学生を積極的に取り入れいます。
まずは、都を「難波(なにわ)」に移します。現在の大阪府です。
都を移すことで蘇我氏の影響力を排除します。
⑤ 公地・公民
中大兄皇子は、「公地・公民」を行います。
公地・公民とは土地と人々を国が直接管理することです。
各地の豪族が支配していた土地と人々を、国家(天皇)が直接支配する方針
これまで土地と人々は豪族が支配をしていました。
これを、「国家(天皇)」が支配します。
公地・公民によって国の中心が豪族から天皇に代わります。
「天皇中心の政治」に近づけることができます。
⑥ 大化の改新とは
大化の改新とは「いつ」「誰が」「どのように」「何をしたか」を示します。
大化の改新
645年から
中大兄皇子と中臣鎌足を中心とした
独裁的な政治を行った蘇我氏を滅ぼした
天皇中心の政治を目指して公地・公民などを行った
一連の政治改革を「大化の改新」といいます。
「大化」は元号です。現在は「令和」です。
元号がはじめてつかわれたのが「大化」です。
まとめ
用語確認 一問一答
① 7世紀初めに隋の後にできた中国の国
② 日本が唐に派遣した使節
③ 蘇我氏を滅ぼした中心人物を2人
④ 中大兄皇子と中臣鎌足が行った政治改革
⑤ 土地と人々を国家が直接支配する仕組み
用語確認 一問一答 ~答え~
① 唐
② 遣唐使
③ 中大兄皇子・中臣鎌足
④ 大化の改新
⑤ 公地・公民