「壬申の乱」とは わかりやすく簡単に解説

歴史
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 天智天皇の死後

 跡継ぎ争いが起きた

 「壬申の乱」である

 壬申の乱とは

 壬申の乱が起きた理由は

 壬申の乱の影響は

 わかりやすく、簡単に解説していきます。

キーワード

・壬申の乱

・大友皇子

・大海人皇子

・天武天皇

壬申の乱

 天智天皇の死後、あとつぎ争いが起こります。

壬申の乱」です。

壬申の乱

 天智天皇の死後、大友皇子と大海人皇子によるあとつぎ争い

① 壬申の乱のきっかけ

 天智天皇のあとつぎ候補は2人いました。

 天智天皇のの「大海人皇子(おおあまのおうじ)

 天智天皇の息子の「大友皇子(おおとものおうじ)

 当時は天皇と同じ母親から生まれた弟がいる場合、次の天皇は弟がなることになっていました。

 つまり、天智天皇の弟の大海人皇子が優先でした。

 しかし、天智天皇は大友皇子を天皇に就けようと考えます。

 天智天皇は「大海人皇子に次の天皇にする」と伝えます。

 もし、大海人皇子が「はい」と言えば、暗殺する手はずでした。

 しかし、大海人皇子は事前に察知していたため、天皇になることを辞退しました。

 辞退をして、奈良県の吉野へ出家することになります。

 天智天皇は亡くなってしまいます。

 天智天皇の予定通り、大友皇子が天皇になる予定でした。

② 壬申の乱

 大友皇子は吉野の道を封鎖したり、武器を持った者が吉野近辺にきている情報を得ます。

 大海人皇子は「もしかすると、暗殺されるかもしれない」と考えました。

 殺される前に、行動した方が良い、と考え兵を挙げます。

 「壬申の乱」です。

 豪族たちは

 「大友皇子についたグループ」と「大海人皇子についたグループ」

 に分かれます。

 壬申の乱の結果は大海人皇子の勝利を収めます。

③ 壬申の乱の結果

 壬申の乱の結果

 大海人皇子は「天武天皇」として即位します。

 天武天皇(大海人皇子)は、「大友皇子についたグループ」の豪族の権利を奪いました。

 奪った権利を「大海人皇子についたグループ」に分け与えます。

 こうすることで天武天皇に逆らうことはできません。

 壬申の乱の結果「天皇中心の政治がより進む」ようになりました。

まとめ

  • 天智天皇息子の大友皇子を天皇にするために弟の大海人皇子の暗殺を考えていた
  • 天智天皇の死後に起きた大友皇子と大海人皇子のあとつぎ争いを壬申の乱という
  • 壬申の乱の結果、大海人皇子が勝利に、天武天皇として即位する
  • 壬申の乱で大友皇子側についた豪族の権利を奪い、天皇中心の政治を進めた

用語確認 一問一答

① 天智天皇の死後に起きたあとつぎ争い

② 壬申の乱に勝利した大海人皇子は何天皇となり即位したか

③ 壬申の乱の結果、何中心の政治がより進んだか

用語確認 一問一答 ~答え~

① 壬申の乱
② 天武天皇
③ 天皇中心の政治 

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