皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も一緒に社会科の歴史分野について学んでいきましょう!
今回は、平安時代の終わりに彗星のごとく現れ、武士として初めて日本のトップに立った風雲児、平清盛(たいらのきよもり)に注目します。
平清盛
1. 武士の頂点へ!「保元・平治の乱」
平安時代末期、天皇家や貴族の争いに武士が駆り出されるようになります。ここで勝ち残ったのが清盛でした。
2つの乱の違いを整理しよう
- 1156年:保元の乱(ほうげんのらん)
- キーワード: 「お家騒動(おいえそうどう)」
- 天皇家・貴族・武士のそれぞれが2つのグループに分かれて戦いました。清盛はこの戦いで勝った後白河天皇側につき、力を持ちます。
- 1159年:平治の乱(へいじのらん)
- キーワード: 「源平トップ争い」
- 保元の乱で一緒に戦った平清盛(平氏)と源義朝(源氏)が、今度はライバルとして激突!これに勝利した清盛が、武士の頂点に立ちました。
2. 平氏政権の誕生と「独裁政治」
1167年、清盛は武士として初めて貴族の最高位である太政大臣(だいじょうだいじん)に就任しました。これが日本初の武士による政権です。
嫌われちゃった?清盛の政治
清盛は絶大な力を持ちましたが、次第に周りの反感を買うようになります。
- 身内で固める: 娘を天皇の后(きさき)にするなど、高い役職を平氏一族で独占しました。
- 強気すぎる発言: 「平氏にあらざれば人にあらず(平氏でない者は人間ではない)」という言葉が出るほど、傲慢(ごうまん)な態度に見えたようです。
- 強引な手法: 後白河上皇の院政をストップさせたり、多くの荘園(領地)を奪ったりしました。
「平氏でなければ人ではない」なんて言われたら、必死に働いている他の武士たちは「やってられない!」と怒るのも無理はありませんね。
3. 実は先見の明があった?清盛の「いい人」エピソード
歴史書では「悪役」として描かれがちな清盛ですが、実は時代を先取りした素晴らしい政治家でもありました。
- 経済の天才: 兵庫(現在の神戸)の港(大輪田泊)を整備し、中国の「宋(そう)」と貿易をしてお金を稼ぎました。
- 文化のパトロン: 世界遺産である厳島神社(広島県)を現在の美しい姿に造営しました。
- 命を大切にした: 工事の成功を祈って人間を埋める「人柱(ひとばしら)」の慣習を廃止しました。
4. 基礎用語の確認問題(5問)
【問1】 1156年、天皇家の争いに貴族や武士の争いが加わって起きた戦乱は何ですか。
【問2】 1159年、平氏と源氏が武士のリーダーを争って起きた戦乱は何ですか。
【問3】 武士として初めて就任した、貴族の最高位の役職は何ですか。
【問4】 清盛が現在の神戸に整備し、日宋貿易の拠点とした港を何といいますか。
【問5】 清盛が航海の安全を願って、現在の美しい姿に整備した広島県にある神社は何ですか。
5. 基礎用語の確認問題の答え
【問1】 保元の乱
【問2】 平治の乱
【問3】 太政大臣
【問4】 大輪田泊(おおわだのとまり)
【問5】 厳島神社
6. 高校入試対応:記述問題
【問題】 平清盛は、どのようにして政治の実権を握ろうとしたか。藤原氏が行った政治との共通点に触れて説明しなさい。
【解答例】
自分の娘を天皇の后にして、生まれた子を次の天皇に立てることで、外戚(親戚)として政治の実権を握ろうとした。7. まとめ
歴史は「勝者が書くもの」です。平氏を滅ぼした源氏の時代に書かれた記録では、清盛は悪く書かれがちですが、実際には貿易で国を豊かにしようとしたり、古い残酷な習慣を変えようとしたりする、とても知的なリーダーでした。
「悪人」か「偉人」か。皆さんは、残された文化遺産やエピソードを見てどう感じましたか?

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