第一次世界大戦後、アジア各地では列強の支配に対して独立を求める動きが広がっていきました。
日本・中国・朝鮮・インドの間で交差する外交と政治の緊張、そして民衆の抵抗運動の高まり。
それぞれの国がどう立ち上がり、どんな壁にぶつかっていったのか。
本記事では、アジアの独立運動の背景と流れを、具体的な出来事と人物を交えてやさしく解説します。
アジアの独立運動
日本の参戦と中国への圧力:二十一か条の要求とは
第一次世界大戦では、イギリス・フランス・ロシアなどの連合国と、ドイツ・オーストリア・イタリアなどの同盟国が戦いました。
日本は日英同盟を結んでいたため、連合国側で参戦。
ヨーロッパで戦うことはせず、中国・山東半島の青島と南太平洋のドイツ権益地を攻撃しました。
1915年「二十一か条の要求」
日本は中華民国政府(袁世凱)に対して次のような要求をします:
- 山東省のドイツの権益を日本に譲る
- 旅順・大連の租借と南満州鉄道の期限を99年延長
- 南満州の鉱山採掘権を日本国民に与える
袁世凱は多くの項目を認めましたが、その内容を世界に公開します。
中国が誇張した内容を広めたことで、欧米、特にアメリカの対日批判が強まりました。
五・四運動と中国国民党の誕生
1919年、中国では反帝国主義運動「五・四運動」が発生。
これを機に、孫文は中国国民党を結成。のちに中国共産党と協力し、国内の軍閥をまとめようと動き出します。
その後の1921年、ワシントン会議で日本は山東省の権利を中華民国に返還。
これは日本の力を抑えようとするアメリカの思惑通りの展開でした。
韓国の三・一独立運動と日本の支配
1910年、日本は「韓国併合」を行い、朝鮮半島を植民地化しました。
朝鮮総督府を設置し、ソウル(当時の京城)には京城帝国大学を創設。
これは日本6番目の帝国大学であり、教育を通じて西洋の自由や平等の思想も広まっていきます。
学ぶ中で、多くの人々が「自分たちが列強に支配されている」ことに気づきます。
そして、1919年に知識人・学生らによる「三・一独立運動」が全国に広がりました。
インド:ガンディーの非暴力・不服従運動
第一次世界大戦中、イギリスは「協力すれば独立を与える」とインドに約束。
インドの人々はこれを信じ、兵士を出します。
しかし戦後、イギリスは約束を守らず、従来の支配を続けました。
その裏切りに対し立ち上がったのが、ガンディーです。
彼は「非暴力・不服従」を掲げ、武力を使わずに抵抗します。
塩の行進——静かな革命の始まり
当時、イギリスはインド人が塩を作ることを制限していました。
ガンディーはこれに抗議し、海へ向かって歩きながら塩を作る「塩の行進」を行います。
最初は少人数でしたが、村を回って訴えるうちに、数万人規模の運動へ発展。
この運動が後の独立の道を切り拓くきっかけとなります。
📝 まとめ
国 | 出来事 | 独立運動の中心 |
---|---|---|
日本 | 二十一か条の要求 | 中華民国との外交摩擦 |
中国 | 五・四運動 | 孫文(国民党) |
韓国 | 三・一独立運動 | 学生・知識人 |
インド | 塩の行進 | ガンディー |
単語の練習問題:アジアの独立運動編
【選択問題】次の問いに最も適した言葉をA~Dから1つ選びましょう。
- 日本が1915年に中国へ突きつけた要求のことを何という? A. ワシントン条約 B. 五・四運動 C. 二十一か条の要求 D. 三国協商
- 中国で起きた反帝国主義運動で、孫文が国民党を結成するきっかけにもなった運動は? A. 三・一独立運動 B. 太平天国の乱 C. 長征 D. 五・四運動
- 日本が朝鮮に設立した帝国大学の名前は? A. 京城帝国大学 B. ソウル大学 C. 高麗大学 D. 清華大学
- 第一次世界大戦後に、インドで独立運動を指導した人物は? A. ネルー B. タゴール C. ガンディー D. ムガル
- ガンディーが行った、塩の製造をめぐる非暴力運動はどれ? A. チャウリチャウラ事件 B. サティー廃止運動 C. 塩の行進 D. 第二次英印戦争
【記述問題】次の用語を使って短く説明しましょう(1つにつき20~30字程度)
ワシントン会議
二十一か条の要求
三・一独立運動
塩の行進
民族自決
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