1931年、日本は満州で鉄道が爆破されたことをきっかけに、軍事行動へと突き進みます。
これが「満州事変」の始まりです。
満州国の建国、リットン調査団の調査、そして国際連盟からの脱退――昭和恐慌の最中、経済回復の裏に隠された事実とは?
この記事では、柳条湖事件から国際的孤立までの流れを、中学生にもやさしく解説します。
満州事変
満鉄とは?日本が満州に持っていた鉄道
「満鉄」とは正式には南満州鉄道株式会社のこと。
日本が満州の開発と支配のために設立した鉄道会社で、経済の中心的存在でした。
柳条湖事件がきっかけに!
1931年9月18日
満鉄が爆破される事件が起きました。
これが「柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)」です。
当時、満州にいた日本の軍隊=関東軍は、「中国兵の仕業だ!」と主張して中国の基地を攻撃・占領します。
実は…この爆破、関東軍自身が仕掛けていたことがのちに判明します。
関東軍の自作自演だったのです。
満州国の建国と中国の反発
1932年2月、日本は満州国を建国。
表向きは「独立国」でしたが、実質は日本の支配下にありました。
中華民国の主張
- 日本の軍事行動は違法!
- 満州を返して!
日本の主張
- 鉄道を爆破され、防衛のため占領した
- 満州国は独立国家だ!
国際連盟の場で中華民国と日本の主張がぶつかり合います。
国際連盟での対立とリットン調査団
事態を重く見た国際連盟は、リットン調査団を満州へ派遣。
調査の結果……
・満鉄の爆破は関東軍の自作自演
・満州国は「日本の操り国家」で独立ではない
→ 総会の採決では、42対1で中国の主張が正当と認められました。
→ 唯一の反対が日本
「我が代表、堂々退場する」国際連盟脱退へ
国際連盟の場で日本の主張が認められない。
日本の代表松岡洋右(まつおかようすけ)は、納得がいかないとして「国際連盟を脱退する」と言い、退場します。
日本は国際連盟を脱退。
この行動は当時、新聞で「かっこいい!」と賞賛されましたが、
日本が国際社会から孤立していく第一歩になってしまいました。
首相・犬養毅の苦悩
満州事変当時の首相は犬養毅(いぬかい つよし)。
彼は満州国を認めない姿勢をとっていました。
理由は:
- 中国(中華民国)との関係悪化を避けたい
- アメリカやイギリスとの対立も心配だった
→ しかし、軍部の力が強まるなかで、首相の意見は無視されていきました。
まとめ
用語 | 解説 |
---|---|
満鉄 | 南満州鉄道株式会社。日本が満州に所有していた鉄道会社 |
柳条湖事件 | 1931年、関東軍が自作自演で満鉄を爆破した事件 |
関東軍 | 満州に駐屯していた日本の陸軍部隊 |
満州国 | 日本が建てたが実質支配下にあった国。国際的には承認されず |
リットン調査団 | 国際連盟が派遣した調査団。日本の行動を不当と報告 |
松岡洋右 | 国際連盟を「堂々退場」して脱退を宣言した日本代表 |
犬養毅 | 満州国を認めず外交的孤立を避けようとした首相 |
確認問題
単語の確認問題(選択式)
- 満鉄が爆破された事件を何という?
A. 張作霖事件 B. 柳条湖事件 C. 関東大震災 D. 北伐事件 - 満鉄爆破後、中国の基地を占領したのは?
A. 満州軍 B. 中国国民党 C. 関東軍 D. 米英連合軍 - 満州国の建国はいつ?
A. 1930年 B. 1932年 C. 1927年 D. 1941年 - 国際連盟で日本が脱退を宣言した代表は?
A. 犬養毅 B. 蒋介石 C. 松岡洋右 D. 浜口雄幸 - 満州国を認めなかった当時の首相は?
A. 近衛文麿 B. 伊藤博文 C. 山本権兵衛 D. 犬養毅
✅ 単語の確認問題の答え
- 柳条湖事件
- 関東軍
- 1932年
- 松岡洋右
- 犬養毅
用語練習問題(記述式)
- 柳条湖事件
- 関東軍
- 満州国
- リットン調査団
- 松岡洋右
✅ 用語練習問題の答え
- 満鉄が爆破された事件。のちに関東軍の自作自演と判明
- 満州に駐在していた日本陸軍の部隊。独断行動が多かった
- 日本が建国したが、実質日本が支配していた国。国際的に承認されなかった
- 国際連盟が派遣した調査団。満州事変を調査し、日本の行動を不当と報告した
- 国際連盟総会で日本の脱退を宣言した代表。新聞で「堂々退場」と賞賛された
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