1937年
日本と中国が本格的な戦争に突入――それが日中戦争です。
きっかけは北京郊外の小さな衝突「盧溝橋事件」でした。
この記事では、満州事変からはじまり、中国国内の内戦、抗日民族統一戦線、援蒋ルートによる支援まで、日中戦争の流れと泥沼化の理由を中学生にもわかるようにやさしく解説します。
日中戦争
満州事変から日中戦争へ――きっかけは柳条湖事件
1931年、日本が持つ南満州鉄道(通称:満鉄)が爆破される事件が発生します。これが柳条湖事件です。
- 爆破をきっかけに、関東軍(日本の中国駐在軍)が軍事行動を開始
- 1932年、満州国を建国(表向きは独立国だが、実質的に日本の支配下)
この一連の流れを「満州事変」と呼びます。
中国国内は“内戦”状態だった
満州国の建国をめぐって、中国内部でも意見は分かれていました。
- 中国国民党の蒋介石:満州国を黙認
- 中国共産党の毛沢東:満州国は認めないと批判
両者は激しく対立しており、当時の中華民国は中国全土を統治しきれていない状況でした。
盧溝橋事件から戦争突入へ
1937年7月
北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で、日中両軍が衝突します。これが盧溝橋事件です。
この事件をきっかけに、日中戦争が始まりました。
当時の首相近衛文麿と、関東軍の石原莞爾(いしわらかんじ)はともに「不拡大方針」をとり、戦争の拡大に反対でした。
しかし、中国本土で日本人の民間人が犠牲になる事件が起きました。
結果として、事件から10日後の1937年7月27日、日本は不拡大方針を破棄し、21万人の大軍を動員して戦争に突入します。
中国側が手を組んだ!「抗日民族統一戦線」
中国国内では、それまで内戦を続けていた国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)が事態を重く見て手を結びます。
「日本と戦うために、内戦を一時やめよう!」
こうして結成されたのが、抗日民族統一戦線(こうにちみんぞくとういつせんせん)です。
南京陥落と近衛首相の発言
日中戦争は泥沼のように続きます。
日本軍は首都南京を攻略しましたが、近衛首相は次のように発言します。
「今後、中華民国の国民政府(蒋介石)を相手にしない」
→ 中国側と交渉ができない状況になり、戦争はさらに長期化してしまいます。
なぜ中国はなかなか負けなかったのか?
日中戦争は最初は日本の連戦連勝でした。
しかし、なかなか中国は負けませんでした。
理由があります。
日中戦争が泥沼化した最大の理由がこちら:
- 国民党と共産党が手を結んだ(抗日民族統一戦線)
- アメリカ・イギリスの支援を中国が受けていた(援蒋ルート)
援蒋ルートとは?
→ 中国南部の都市重慶(じゅうけい)にいる蒋介石に対して、アメリカ・イギリスが物資や兵器を送り続けるルートのこと
日本がどれだけ中国を制圧しても、外国から支援が届き続けるため、戦争が終わらない状態になります。
そして、泥沼の日中戦争は続いていくのです。
まとめ
用語 | 解説 |
---|---|
柳条湖事件 | 満鉄が爆破された事件。満州事変のきっかけ |
満州国 | 日本が建国したが、実質支配していた国 |
盧溝橋事件 | 1937年、北京郊外で発生した日中両軍の衝突 |
抗日民族統一戦線 | 国民党と共産党が日本と戦うために手を結んだ |
援蒋ルート | アメリカやイギリスが蒋介石に支援物資を送るルート |
確認問題
単語の確認問題(選択式)
- 日中戦争のきっかけとなった事件は?
A. 柳条湖事件 B. 南京事件 C. 盧溝橋事件 D. 張作霖事件 - 日中戦争が始まったときの内閣総理大臣は?
A. 犬養毅 B. 東條英機 C. 近衛文麿 D. 山本五十六 - 日本軍が陥落させた中国の首都は?
A. 北京 B. 上海 C. 南京 D. 武漢 - 国民党と共産党が日本に対抗するために結んだ組織は?
A. 白軍戦線 B. 中国国民戦線 C. 抗日民族統一戦線 D. 国家連合軍 - アメリカ・イギリスが蒋介石を支援したルートの名前は?
A. 支援回廊 B. 援蒋ルート C. 蒋道輸送網 D. 重慶連絡線
✅ 単語の確認問題の答え
- 盧溝橋事件
- 近衛文麿
- 南京
- 抗日民族統一戦線
- 援蒋ルート
用語練習問題(記述式)
- 柳条湖事件
- 満州事変
- 盧溝橋事件
- 抗日民族統一戦線
- 援蒋ルート
✅ 用語練習問題の答え
- 満鉄が爆破された事件。満州事変のきっかけとなった
- 関東軍の軍事進出により、満州国が建国された一連の出来事
- 1937年、北京近くで起きた日中両軍の衝突。日中戦争のきっかけ
- 日本に対抗するため、国民党と共産党が結んだ中国国内の戦線
- アメリカ・イギリスが蒋介石を支援するための物資輸送ルート
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