「幕藩体制」「江戸幕府の成立」をわかりやすく解説

歴史
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 江戸時代ができるまでの出来事、幕藩体制の確立までの流れです。

 江戸時代の幕藩体制とは

 江戸幕府の政治の仕組みとは

 分かりやすく解説します。

 キーワードは

・関ヶ原の戦い

・徳川家康

・江戸幕府

・幕藩体制

老中

関ヶ原の戦い~天下分け目の戦い~

 江戸幕府ができる前に権力を握っていた人物は「豊臣秀吉」です。

 豊臣秀吉は朝鮮出兵の失敗の最中、亡くなってしまいます。

 豊臣家中の大名同士で争いが起こります。

 豊臣秀吉の後に権力をにぎったのは徳川家康です。

(徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)
出典:Wikipedia

 徳川家康が権力をにぎるきっかけとなったのが「関ヶ原の戦い」です。

関ヶ原の戦い

 1600年 徳川家康と石田三成が関ヶ原で戦った
 勝者は徳川家康

  勝った徳川家康は1603年に征夷大将軍に就任

 1603年に江戸幕府を開きました。

幕藩体制~幕府と藩が土地と人民を支配~

 幕藩体制とは幕府と藩が土地と人民を支配する体制のことです。

 「藩」はざっくりと言えば、現在の「都道府県」のようなものです。

 幕府の権限は大きかったです。一方で藩には地方を治める自由裁量がありました。

 江戸幕府の支配の仕組みについてです。

 江戸幕府が最初に行った政策です

① 全国の石高の4分の1を直接支配
② 京都・大阪・長崎など経済的に重要な都市を支配
③ 主要な鉱山を支配
④ 貨幣を発行する権利を独占

 しかし、徳川家康には困ったことがありました。

 江戸幕府で4分の1を直接支配しても、残り4分の3は他の大名が支配しています。

 もし、4分の3が団結して江戸に攻めてきたと不安になります。

 そこで、徳川家康に大名をどのように配置したら良いか、考えに考えました。

 江戸時代、大名は大きく3つに分けられます

 親藩   徳川家の親戚の親藩
 譜代大名 昔からの家来
 外様大名 関ヶ原の戦いの後から従った

 親藩、譜代大名、外様大名をどのように配置をするのか。

 徳川家康は、

「江戸の近くに徳川家の一族である親藩、徳川家の古くからの家臣の譜代大名を置いた。江戸から遠い場所に関ヶ原の戦いから従った外様大名を置いた」

 江戸幕府が長期的に成功した理由の1つが上の大名の配置です。

江戸幕府の政治の体制

江戸幕府の政治の体制です。

 将軍を中心とする政治体制です。

 実際に政治をまとめて行うのが将軍が任命した「老中」です。
 現在の内閣総理大臣に似た役職です。

 「大老」は臨時の役職です。有名な人は幕末の「井伊直弼」です。

 

用語確認 一問一答

① 1600年 徳川家康と石田三成が戦った戦い

② 1603年 徳川家康が開いた幕府

③ 幕府と藩が土地と人民を支配する仕組み

④ 将軍が任命する政治を行う役職

⑤ 江戸幕府は大名をどのように配置した

用語確認 一問一答 ~答え~

① 関ヶ原の戦い
② 江戸時代
③ 幕藩体制
④ 老中
⑤ 江戸の近くに徳川家の一族である親藩、徳川家の古くからの家臣の譜代大名を置いた。江戸から遠い場所に関ヶ原の戦いから従った外様大名を置いた

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