江戸幕府は貿易を活発に行っていた
しかし、鎖国の政策に変更した
朱印船貿易とは
鎖国とは
鎖国の理由を含めて
わかりやすく解説します
キーワード
・朱印船貿易
・日本町
・島原・天草一揆
・鎖国
朱印船貿易~朱印状を使った貿易~
朱印船貿易
できたばかりの江戸幕府は不安定。
徳川家康は貿易をして利益をあげようと考えていました。
現在でも国産の物と比べて外国産の物だと値段が高くても欲しいという人がいます。
外国産は高くても売れるので儲けられます。
誰でも貿易ができるわけではありません。
徳川家康は、貿易船に朱印状を発行します。朱印状を持った船しか貿易はできません。
貿易を行った国はルソン(フィリピン)、安南(ベトナム)、カンボジア、シャム(タイ)です。それらの国に朱印状を持った船の保護をして、貿易をしました
朱印状を使った貿易なので「朱印船貿易」といいます。

室町時代に足利義満が「勘合」を使って行った勘合貿易と似ています。
勘合と朱印状は使った理由は違うのですが、「勘合」、「朱印状」がなければ貿易をすることができないという点では共通点になります。
日本町
朱印船貿易を行う東南アジアには、日本人が多く住む町ができます。
東南アジアで日本人が住む町を日本町といいます。
東南アジアでは、町がつくれるほど、日本人が多かったです。
当時は、貿易とキリスト教がセットでした。
家康は貿易の利益を優先して、キリスト教を黙認しました。黙認とは黙って認めることです。
キリスト教の禁止
貿易のため、キリスト教を黙認していた江戸幕府。
しかし、1613年に全国でキリスト教禁止令を出しました。

どうしてキリスト教を禁止したのだろうか?
キリスト教は「神」をトップに考えています。
江戸幕府よりも「神=キリスト教を信じること」を優先させる可能性があるため、江戸幕府にとっては危険だと考えました。
ただ、それだけでありません。
江戸幕府はキリスト教を禁止にする前に、情報を得ていました。
貿易を行っていたスペインやポルトガルが様々な国を植民地にしていました。
植民地にする前に、キリスト教を布教させていました。
キリスト教を教えた後に植民地される。
江戸幕府は植民地にされる危険性をなくすためにキリスト教を禁止にしました。
島原・天草一揆~キリスト教徒の反乱~
キリスト教に対する厳しい取締
厳しい年貢の取り立て
この2つが重なり、キリスト教を中心とする一揆が起きます。
1637年 天草四郎を中心とする島原・天草一揆です。

「島原・天草」は地名です。
一揆の勢力は思ったよりも手強かったです。
一揆の鎮圧に成功した江戸幕府。しかし、キリスト教徒の反乱の島原・天草一揆。
キリスト教への対応がより厳しくなります。
キリスト教徒発見するために、キリストや聖母マリアの絵が描かれている踏絵を踏ませる「絵踏」を行いました。

踏絵を踏むことを絵踏といいます。
鎖国~幕府による禁教・貿易統制・外交独占の体制~
1641年 江戸幕府は「鎖国」をしました。

鎖国とはどこの国とも交流をしないことじゃないの?
鎖国とは、幕府による禁教、貿易統制、外交独占の政策を行う体制です。
鎖国ときくと、国を閉じてどことも交流をしていないイメージがあります。
しかし、実際は貿易統制なので、オランダ、清(中国)との貿易を幕府が統制、独占します。
また、外国との交渉は基本的に幕府が行います。外交独占です。
鎖国までの流れ
1612年 幕領(幕府の領土)でキリスト教の禁止
1613年 全国でキリスト教の禁止
1624年 スペイン船の来航を禁止
1635年 日本人の海外渡航・帰国の禁止
1637年 島原・天草一揆
1639年 ポルトガル船の来航を禁止
1641年 オランドの商館を出島に移す
用語確認 一問一答
① 貿易を許可する許可する書状
② 朱印状を使った貿易
③ 東南アジアで日本人が移住して生活した町
④ 1637年に起きたキリスト教の禁止、年貢の取り立てで起きた一揆
⑤ 幕府による禁教・貿易統制・外交独占の体制
用語確認 一問一答 ~答え~
① 朱印状
② 朱印船貿易
③ 日本町
④ 島原・天草一揆
⑤ 鎖国