「出島」とはわりやすく簡単に解説

歴史
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 江戸時代の対外関係

 鎖国かでは「出島」で貿易、外国との交流をしていました。

 鎖国とは

 出島とは

 わかりやすく解説していきます。

 キーワード

出島

オランダ

出島~オランダとの貿易~

 江戸時代

 1637年から鎖国です。

鎖国

 幕府による禁教・貿易統制・外交独占の政策の体制

 貿易は幕府のみが行います。

 外国との交流や交渉は幕府のみが行います

 この2つは

 メインは長崎の「出島」で行っています。

 

オランダと貿易

(1824-25年ごろの出島 出典:Wikipedia

 出島では「オランダ」と貿易を行っていました。

 南蛮貿易の時は貿易とキリスト教はセットでした。

 出島での貿易です。ポルトガル・スペインはキリスト教です。

 オランダは何教かというと、キリスト教です。

太子君
太子君

どうして同じキリスト教なのに、ポルトガル・スペインは貿易はダメで、オランダとは貿易を行ったの?

 同じキリスト教でもポルトガル・スペインはカトリックです。

 オランダはプロテスタントです。

 カトリックは布教するが、プロテスタントは布教しなかった

 そのため、カトリックのポルトガル・スペインは、貿易は行わな。

 プロテスタントのオランダとは貿易を行いました。

外国の情報を得る

 オランダとは貿易を行うだけではありません。

 海外の情報を得る重要な手段でした。

 オランダには「オランダ風説書」と言われる報告書を提出させていました。

 江戸幕府は海外の情報を得ることができるだけではありません。

 江戸幕府が海外の情報を独占することができました。

出島の詳細

 出島は長崎県にあります。

 広さ縦が65m、横が190m。

 周りは塀に囲まれていて自由に外には出ることはできません。

 入り口は1箇所のみ。

 入り口には警備する人がいるので、自由に出入りはすることができません。

 オランダの船が来るのは1年間で夏の1回だけです。

 家族を呼び寄せることはできません。

 オランダの人で常時いるのは15人ほどです。

 日本はオランダ人との貿易は出島でしかできない。そのため、オランダでの2倍~4倍の値段で売れます。簡単に言うと「ボロ儲けできる」状況です。

オランダ人にとって出島は、

  • 敷地は学校くらい
  • 塀で囲まれ自由はない
  • オランダの船は1年に1回
  • 同じ国の人は15人のみ
  • 家族は呼べない
  • 2~4倍で売れてぼろ儲け

この条件でオランダ人は日本に来ていました。

日本との貿易で得られる利益が不自由さを上回る場所だったのかもしれません。

出島に伝来したもの

 スポーツではバドミントンやボーリングが伝来

 動物では象、ラクダなどみなさんが動物園で見るもの

 洋犬など家で飼っているものも出島に伝来しました。

 植物のツメクサも海外から伝来したものです。

用語確認 一問一答

 ① 長崎にある外国と貿易を行っていた場所は?

 ② 名島で貿易をしていた国は?

 ③ スペイン、ポルトガルは貿易できずに、オランダと貿易を行った理由

用語確認 一問一答 ~答え~

 ①出島
 ②オランダ
 ③スペイン、ポルトガルはキリスト教を布教をするカトリックだったが、オランダは布教をしないプロテスタントだったから

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