「江戸幕府と清」「江戸幕府と朝鮮国」についてわかりやすく解説

歴史
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 江戸幕府はアジアとの交流がありました。

 中国の「」と「朝鮮国」との交流がありました。

 江戸幕府と清とは

 江戸幕府と朝鮮国とは

 わかりやすく解説していきます。

江戸幕府と清との交流

(18世紀後半の唐人屋敷(ティチング『日本風俗図誌』より) 出典:Wikipedia

 江戸幕府は現在の中国、当時のとの交流がありました。

 清との貿易・交流は「唐人屋敷」で行われました。

 唐人屋敷は「出島」の近くで行われました。

 出島で「オランダ

 出島の近くの唐人屋敷で「

 と貿易を行っていました。

 清にもオランダと同じように海外の情報を江戸幕府に伝える「唐船風説書」を提出させていました。

 江戸幕府がこの情報を独占します。

 海外の情報を独占できる鎖国の利点です。

朝鮮国との交流・貿易

(羽川藤永筆『朝鮮通信使来朝図』 出典:Wikipedia

 日本と朝鮮国との関係です。

 豊臣秀吉の文禄の役、慶長の役による朝鮮出兵の影響で交流がなくなっていました。

 徳川家康は朝鮮国との交流を再開しました。

 朝鮮国から朝鮮通信使と呼ばれる将軍の代替わりごとにあいさつにくる使節がやってきました。

 総勢300~500人の朝鮮国の人々が行列で進んでいきます。

 みこしにのっている人が一番偉い人です。

 道をねり歩きました。

 行列が長く通り過ぎるまで長いときに5時間かかりました。

 朝鮮通信使は通り過ぎるとにかけ声を言っていました。

 みこしがヒントです。

 「ワッショイ

 と言いながら進んでいきました。

 日本人にとって外国人を見る機会は朝鮮通信使くらいだったので、多くの人が朝鮮通信使を見るために集まりました

用語確認 一問一答

① 明の後にできた国

② 朝鮮国が将軍の代替わりごとに派遣した使節

用語確認 一問一答 ~答え~

① 清
② 朝鮮通信使

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